わがまま犬社会

〜わがまま犬は自分がご主人様だと思っていることにある〜

Fri.Oct,01,2009

[ハイサーイ!私の徒然草]

 飼い犬が生後間もない頃からきちんと躾けをしなければ犬がご主人様になる。成長して飼い主よりもからだが大きくなり、力も強くなれば、飼い主の手に負えなくなる。人間だってそうだ。わがままに育てば、子は自分がご主人様だと思うようになり、親を馬鹿にするようになる。


 子犬の時期から飼い主がご主人様であることを生活のあらゆる場面で知らしめる必要がある。命令するのは飼い主であり、命令に従うのは飼い犬である。勝手な行動を許さない。しつけ次第で犬は計り知れないほどの能力を発揮する。


 私が教師になった当時、子どもを自由に育てることがさもいいことであるかのように、子どもを叱ることが悪いことででもあるかのように、我が家は放任主義ですと自慢気に吹聴する社会風潮があった。水は自由にすれば高い方から低い方へ流れていく。人間の精神も自由にすれば水と同じく高い方から低い方へと流れていく。


 大脳前頭前野を鍛えるのが教育であり躾である。しつけをする大人が人間としての権威を失えば子はわがままになる。人の話に耳を傾けることがない。前世代は次世代に何も教えず、次世代は前世代に何かを学ぶという姿勢がない。かくして日本文化は断絶した。日本人は日本人としてのアイデンティティを失い、残ったのは日本国籍だけである。


 元はと言えば、太平洋戦争が終わった1945年を境に、日本文化が根こそぎにされて、日本の心を捨てた。羊頭狗肉のアメリカ民主主義が移植され、日本人がそれを鵜呑みにして、次世代の教育を誤った。


 高度経済成長時代には日本人は札束で人の頬を張り、海外では破廉恥な行為で恥をさらした。経済中心の社会が、学力競争が、人間を腐敗させる。真面目、熱心というのはほむべきことではない。諸刃の剣である。「精進」第一にすれば間違いなく結果は悪になる。高い社会的な地位を利用して私利私欲を満たす人間をつくり出す。


 年金制度の崩壊、特殊法人の天下り、数え上げれば限りがない。高学歴の高い地位にある人間が好き勝手にした結果である。国のこと、社会のこと、国民のことなど、これっぽっちも考えない。人間が腐れば社会も腐る。法律や制度を整備しても腐敗を止めることはできない。

 40億年以上もの昔、海の中にバクテリアという生命が誕生し、十数億年前にラン藻と呼ばれる原始的な緑色植物が誕生し、大気中の二酸化炭素は酸素に置換えられて、大気の上層にオゾン層ができて紫外線から生命が守られるようになってはじめて生命の上陸がはじまった。生物が進化して、人類が誕生したのは高々500万年前のことである。


 人類が生物界の頂点に立ったのは、大脳新皮質の発達にある。知性の高さにあった。人類は万物の霊長だと自称するが、世界で起きていることをみればわかる通りそれほど賢い動物ではない。というより動物本能むき出しの人間が権力志向に走り世界を支配するから、争いが絶えない。


 そもそも西洋文明的知性というのは大層な能力ではない。学問にせよ、科学技術にせよ、民主主義にせよ、社会のシステムにせよ右脳と左脳の域を超えない西洋文明は石頭的思考力である。知性はせいぜい動物脳(大脳旧皮質)の奴隷でしかない。核兵器を開発する科学技術は単に動物脳の道具でしかない。動物脳から発する欲が原動力の経済競争、経済競争に貢献する知性。


 人類が霊長類というほど賢い動物であるとすれば、この動物脳をコントロールできなくてはいけない。動物脳の上位にあるのは「大脳前頭前野」である。東洋文明は大脳前頭前野の文明だったはずである。オデコのところにある第三の目こそが人間を人間たらしめる。


 人間としていかにあるべきかと考えることが人間としての「気位」の原点である。ところが競争社会ではこの人間を人間たらしめている大脳の一番大切な機能が枯れ果ててしまった。学力競争に明け暮れているうちにましなことは考えなくなった。高々、社会的に成功することや、お勉強ができることや、裕福な生活をすることや、いい学校を卒業して、いい会社に入ること止まりである。


 人間としての「気位」のなさがこの日本をめちゃくちゃにしてきた。あの貧相な、品性のない日本の政治屋が国際会議に出たり、他国の首脳と会談したりすることが国民としてどれほど恥ずかしかったことか。海外では人間として軽蔑の目で見られていたと私は思っていた。


 今度の政権交代でやっと人間として恥ずかしくない誇りに思える日本政府ができたと思っている。吉田茂・白洲次郎以来何十年ぶりだろうか。