腑抜けになった日本人

Mon.May,04.2009

[ハイサーイ!私の徒然草]  

   1945年以来の積み重ねには違いないが、1960〜1970年頃までは日本人にはまだ思考力と闘うエネルギーがあった。

   その後、学生が政治に無関心になり、大学祭がお祭りになり、その卒業あたりから若い人たちが労働組合に入らなくなった。反対に御用組合に入って保身をはかり、本組合を潰しにかかる若い層が増えた。高度経済成長の“ぬるま湯”につかっているうちに社会全体が腑抜けになった。

   国民が闘うことを忘れ、闘う母体である労働組合がつぶれ、労使協調の「連合」ができたときからだ。今ではストライキをするエネルギーも組織もない。20年もそれ以上も以前からこうなることはわかっていた。しかし組合に入る意識の高い若い人たちはごく少数派。社会を変えることよりも社会に適応することばかり考えているうちに、どんどん生活は苦しくなっていった。

   これほどまでに追いつめられていながら社会的視点がまるでない。最低生活すら保障されない人々がこれだけたくさんいることを少しは変だとは思わないのか。これほど人権が踏みにじられていいものか。人権は政府が、法律が守ってくれるとでも思っているのだろうか。自分で闘う以外に権利なんて守られはしない。団結しなくては絶対に勝ち目はない。しかし闘うという視点がこの社会から消えてしまった。ストライキ権の行使もせず、デモもせず、何の「切り札」も無しにひたすら企業側と交渉する組合は組合ではない。それを御用組合という。

   読書といっても、どんな本を、どんな読み方をしてきたかである。広範なジャンルにわたっていることが大切である。速読、多読、読み捨てでなく、物事をゆっくり、深く、考えることがなくては仕方がない。あなたのアイデンティティはどこにある。一体、アイデンティティとは何?

   小学校から大学まで、幼稚園まで入れれば18年〜19年、大学院までいけば更に何年。戦後日本人はこんなにも長期間学校に通って、“みずから”一体何を考え学んできたか。ストライキという言葉も、デモという言葉も、搾取という言葉も、自分が搾取されていることも。

   目先きしか見えず、知識だとか、情報だとか、理屈ばかり追っかけているうちに、お金も労働力も全て、思うままに、徹底的に搾り取られるだけである。意識だけは中流でも、いつのまにか生活すら保証されない状況に追い込まれていく。どんどん苦しくなっていく。どんなに追いつめられても闘うという発想も手段もない。学力競争をしているうちに、ここまで来てしまった。