“寄らば大樹の陰”の果て

Wed.May.06.2009
Tue.June.17.2008

[ハイサーイ!私の徒然草]  

   世の中には上には上がある。もっと社会を見る目を広げて、最終的に自分は強い立場にあるのか弱い立場にあるのかをよく弁えなくてはいけない。

   本当は弱い立場にありながら、闘う労働組合を敵視し、あるいは我が子が組合寄りのものの考え方になることを恐れ、子に強い側にひたすら寄り添って保身をはかっていくという人生観を植え付けていく。

   現実は、政治も行政も経営者も労働組合が強くなることを嫌う。国民の権利意識の高まりを恐れる。どうでもいい情報は野放しにし、重要な情報は国民からひた隠す。大局的に見れば、全てそういう立場で政治や行政が行われていることを忘れてはいけない。

   それを忘れるから、そのときその時の政治家の発言に惑わされてしまう。そのことがよくわかっていれば、少々の失敗や落ち度があったからといって、まるで反対の立場にある政党や政治家に転ぶということはありえない。

   道路を作ってくれるとかくれないとかの問題ではない。道路ひとつで住民が受ける恩恵よりもっと大きな甘い汁を吸う人々がいることを忘れてはいけない。物事はもっと大局的に見なくてはいけない。

   だからこそ一介の国民が「寄らば大樹の陰」的な考え方で生きることが正しいかどうか、よく考えてみる必要がある。短期的に、あるいは、自分はそれで上手くいったとしても、子や孫が自分と同じように寄らば大樹の陰という考え方で世の中を渡っていけるとは限らない。自分の子や孫の代になってはじめて寄らば大樹の陰という人生観が大きな誤りであったことに気づけば上の部である。

   例えば、ガソリン価格の高騰に対して、フランスでも、韓国でも、南米のコロンビアでも大規模なストライキやデモが起きている。韓国ではアメリカからの牛肉の輸入再開だけでも政権を揺るがすほどの国民の抗議行動が起きた。

   日本では、牛肉問題にしても、ガソリン高騰、ガソリン税、後期高齢者医療問題にしても、税金に群がる天下り渡り鳥官僚問題、道路、空港、年金問題、非正規雇用による労働の搾取など、これだけ重大な問題が起きていながら、抗議行動が起きたというニュースはない。

   現代日本人は自分の人権を守るために闘うということを忘れた。これは30〜50年前にさかのぼればよくわかる。

   高度経済成長期には闘わなくても生活に困らなかった。闘って人権を守るという自覚が薄れ、闘う労働組合が潰れて御用組合が残った。学生は学生運動になど無関心になり大学祭がお祭りになった。若い人たちが御用組合に加入して保身をはかり、闘う労働組合を潰しにかかった。

   その結果、日本人は世代替わりとともに闘うということを知らない。政治に対して抗議活動をしようにもその母体となる組織がすでに消滅状態である。この「お人好し」では国全体が共倒れになる。

   世の中が便利になった分だけ、生活コストが高くなり、格差が拡大して生活ができない人々が増え、その一方で国民の税金に群がり税金を食い物にする輩がいる。自らの人権を守るためにはどうすべきかを再び学習していくしかない。