| ハイサーイ!私の徒然草 | 小春日和の韓国語のお勉強 |
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原子力発電所を誘致すれば確かに雇用は増える。原発を誘致した自治体には国からの交付金がくる。人口には見合わないような立派な施設がたくさんできる。 しかし、これは幻である。いつ原発に大事故が発生するかわからない。放射能漏れ事故が発生するたびに、放射能汚染が蓄積していき、住民の健康は少しずつ蝕まれ、大事故が発生すれば故郷は一瞬にして廃墟である。 地元住民の中でも、それを知っている住民は、原発誘致に反対したはずである。これは生存権にかかわるから多数決できめてよいはずがない。 それに原発の立地はなぜ過疎地なのか。東京・大阪といった大都市の海岸になぜ原発を作らないのか。排煙が出るわけでもなし、騒音が出るわけでもなし、安全でクリーンな原発をなぜ大都市の海岸に作らないのか。変でしょう。 なぜことさら不自然な安全神話を演出しなくてはいけなかったか。 ⑴ 原発というものがよくわかっている人々は原発の安全性など全く信用していなかった。 ⑵ 事故の危険に対する不安を持っていても、安全神話によって原発に対する警戒心を緩める中間層の人々がいる。 ⑶ 電力会社の安全神話で日本の技術を信じきっている人々がいる。そんなことより、お金だ、利権だ、目の前の生活だ。 大事故が起きてしまった今、 ○ 初めて、安全神話が大嘘だったと目覚め、原子力発電はやめた方がいいと考えるようになる。 ○ しかし、大事故が起きても自分が被害者にならない限りその深刻さがわからず、他人事で、相変わらず原発推進政策を容認して、原子力発電は危ないと主張する人々に噛み付く。 ○(自分が被害者になってやっと気づく人々)こういう人々は自分が被害者にならない限りその危険が身に染みない想像力の欠如というか、共感能力の欠如である。 では、理系出身の政治家、それもある意味で、エリート中のエリートであるとも思える人が、大事故が起きて始めて脱原発を考え始めるか、依然として技術の力で安全対策が可能だという甘い考えしかもてない人も現実にいることがわかった。 これは電力会社から研究費をもらって御用学者に成り下がった原子力関係の大学教授もまさにこの部類である。 従来の、いわゆる「頭がいい」といわれる人々の重大な欠陥が見え隠れする。まして地方政治家においては何をかいわんやである。 そういう想像力の欠如した人々の犠牲になるのが原発が立地する地元はじめ、その周辺自治体の原発の危険を叫び続けてきた多くの良識ある人々であるというのは皮肉な話である。 電力会社は立地自治体とその県の同意だけで原発を作り、停止している原発の再起動をしようとするのは結局彼らをなめているからである。 その証拠は原発推進派の政治家の言葉の中にも見え隠れする。 それは、 原発を首都圏や大都市には作らず、地方の過疎地にしか作らない。なぜか。危険だからである。反対の抵抗に対応しきれないからである。危ないことを知っているからである。では過疎地ならいいのか。まさに過疎地なら被害が少ないと思っている。 これ、過疎地の人々に対する差別ではないのですか。 浜岡原発停止要請の理由として、東海地震がいつ起きてもおかしくないほど差し迫っているからという。しかし玄海原発や川内原発は大丈夫といえるのか。いつくるかわからないというだけではないのか。大地震大津波の予測データがないだけではないのか。 とりあえず浜岡原発を停止としたことには意味はある。しかし玄海原発や川内原発にゴーサインを出した理由は全くわからない。依然として形の上で何がしかの安全対策を講じたというだけで、誰が安全だと思うだろうか。 それから、津波の防波堤ができれぱ、浜岡も再起動を認めるようなあいまいな態度はいったい何を意味するのか。全く原発の危険性に対して認識が欠如していることを意味する。 それから浜岡原発停止要請のもう1つの理由として新幹線が危ない、首都圏が危ないというもの。これは、では過疎地で事故が起きても中小の周辺自治体が蒙る被害は問題にならないという裏のメッセージでもある。ここにも差別意識が見え隠れする。 これは、電力が不足するとか経済活動が阻害されるとかいう問題と同じ次元で並べて天秤にかける問題ではない。脱原発ときめれば、再び日本人の頭が活性化して、新しい発想が生まれ、世界をリードする技術革新が起きる。 原発しかないという固定観念で思考停止した今の頭でいくら考えても何も思いつきはしない。人間は困らなきゃ何も生まれやしない。私はそう思う。 私は脱冷房して5、6年になろうか、一番熱い日中だけエアコン使用しなかった時期を含めると10年にはなる。我が家では子供部屋にエアコンはつけなかった。苦情を言った子はいない。昭和40年代の生活に戻っただけである。 |