地球温暖化防止と原発安全神話

Mon.Oct.07.2011

ハイサーイ!私の徒然草 小春日和の韓国語のお勉強
環境エネルギー研究所
「減CO2キャンペーン」と「原発安全神話キャンペーン」、実はこの2つは原発マネーによる表裏一体のキャンペーンではなかったのか。エネルギーは使いたい放題使い、欲望は野放しにしておきながらエコを進めても、破綻は時間の問題である。

 GDPを抑えるキャンペーンはせず、経済界はGDP拡大しか念頭にない。GDPが拡大すれば国民は豊かになるという幻想を演出しているだけである。「GDP拡大」は「格差拡大」と翻訳した方がいい。

 「グローバル化」「自由経済」「小さな政府」で競争を野放しにすれば、競争力がつくというのも一部はそうかもしれないが、大部分は限りなく貧困に転落していく。国内では国民間の経済格差、国際的には国家間の格差拡大である。

 TPPについても、輸出が拡大するというけれども、本当にそうか。これに参加した全ての国が「同床異夢」を見ているだけで、結局はどこかの国が大儲けをすれば他方では大損をする。富は限られているのであって、全ての国がよくなるはずがない。国内では全ての産業がよくなるはずがない。どこかの国が割りを食い、どこかの産業が割りを食う。

 それでも全ての国民がまあまあ今よりはるかにましになるのであれば許せるけれども、必ず今貧困に喘いでいる人々がますます貧困になる可能性がある。

 TPPを最初に言い出したアメリカには周到なる戦略がある。それに何の戦略もなくのこのこ出かけて行って勝ち目があるはずがない。いいようにしてやられるだけである。自分が主催者にならなくては意味がない。

 それは経済界は貧困に喘いでいる人のことなどこれっぽっちも考えてはいないことは明らかだからである。経団連だって、電力会社だって、原発マネーで潤ったり、天下りをして行った連中が貧困に喘いでいる人のことをこれっぽっちでも考えているか。

 原発の大事故が目の前で起きているのにまだ原発推進を主張する。国民の生活と生命を犠牲にしても経済やお金や保身が大切な人々である。自分は被害者にはならないという前提でしか物を考えられないか、あとは野となれ山となれと思っているかのどちらかである。

 私の家ではそれなりに限界までエコしているつもりで、これ以上は無理かと思う。

 すでに7、8年前から、客人が来たとき以外はエアコンは全く使っていないし、慣れればどうということはない。白熱電球は蛍光灯に替えた。

 LED電球への買い替えは、とりあえずは、長時間使っている部屋、例えば書斎、食堂兼居間、暗くなってから深夜まで点灯している防犯灯兼門灯、屋内の常夜灯などは全部LEDに替えたけれども、それほど長時間点灯してもいない照明器具は、これまでの器具を使いつぶすのが得策だと考える。

 車だって、ハイブリッドカーの燃費がいいからと言って買い替え るのが得策だろうか。少し高い買物でも燃費のよさで何年何年で元は取り返すというが、本当だろうか。いいことばかり並べているのではないか。搭載しているバッテリーの劣化は計算に入っているのだろうか。

 バッテリーの劣化とともに燃費は落ちていくのではないか。バッテリー交換の費用は?リチウムイオンバッテリーの寿命は何年くらいか?滅多に起きることはないにしても、事故の衝撃でバッテリーが発火する危険はないか。リチウムイオン電池にはそんな危険も感じている。

 燃費のよさで何年で元を取り返すという話よりも今出て行くお金が問題です。お金が動くということはGDPが増えるということであり、物の生産がその分増えるということである。先のことは当てにはならない。使える物を捨てることの無駄こそ恐ろしい。

 原発がそんなにエコなのか。低コストだというのも表向きのことである。うそがある。国民の莫大な税金をつぎ込み、世界一高い電気代を国民に支払わせた結果ではないか。安全神話劇場に、買収に、天下りに、あれほど原発マネーをばら撒いておいて低コストであろうはずがない。

 電力会社にとっては低コストではあっても、国民にとっては高コストである。にもかかわらず火力発電にしたら燃料代がどうだこうだといって、電力料金値上げを言うとは何事か。

 何故原発に歯止めをかけないのか。二酸化炭素も大変かもしれないけれども、放射性物質のばらまきこそもっと問題ではないか。

 産業革命当時は二酸化炭素をいくら放出しても空は広くなんの支障もなかった。どんどん出し続けた。いまではどうか。

 原発、核実験。核燃料リサイクルの過程ではどこかの国のように、やがては六ヶ所村でも高放射性汚染水を垂れ流しにせざるをえなくなるのではないか。

 すこしずつすこしずつ放射性物質が地球全体に拡散して、自然放射能は増加し続けているのに、まだ大したことはないと思っている。

 しかしやがてこの自然放射能が無視できない時が来る。これは産業革命以来の二酸化炭素量の増加による問題の比ではない。放射性物質への対策のしようはない。二酸化炭素よりもむしろその方が恐ろしい。馬鹿な人類は歴史上で同じことを性懲りもなくくり返してきたし、未だにそのおろかさに気づかない。

 いくらエコをしても行き詰まるのは時間の問題である。根本解決ではない。それよりも問題解決のためにはGDP信仰を捨て去る以外にない。GDPが増えれば増えるほど国民の格差は拡大する一方 であり、国際的には国家間の格差の拡大以外にはない。不幸の拡散である。原発を推進するために二酸化炭素を問題にするのは本末転倒ではないか。

 限定的な場面でのエネルギー消費だけみればエコかも知れないがが、社会全体としてみれば本当にエコになっているのかどうかは分からない。今ある照明器具、家電製品、車などをわざわざ買い替えてまで節電することは必ずしもエコとは考えてはいない。

 エコのための買い替え運動はメーカーのビジネスチャンスを増やしているだけで、却ってエネルギーの無駄使いになっているかもしれない。

 私は、厳密ではないけれども、電気、ガス、灯油、ガソリン、毎回重量測定して出した可燃ゴミと、我家の二酸化炭素排出量などの記録を2002年から2010年まで自分のホームページに掲載していた。

 かつて地球温暖化防止活動センターのホームページ上の環境家計簿に記入し続けたことがあるが、突然廃止になってデータだけはメールの添付書類で返送されてきた。

 しかしあの時のデータは何か利用されたのかどうかも趣旨がはっきりしなかった。センターはただ環境家計簿をWeb上で提供しただけなのか。あれは一体何だったのか。

 財団法人「地球温暖化防止活動センター」を作って以来何年になるか。人員構成や組織、実際の活動はどうなっているのか。地球温暖化防止活動推進員の活動はできているのか。机上の組織は作ったものの、その実態は、仕事ができる環境はあるのか。実効はあがっているのか。昨年の事業仕分けの検証はどうなったのか。

 この二酸化炭素を減らせというキャンペーンと原発推進が表裏一体になっているのではないか。これは天下り団体とはちがうのか。