原発推進と原発の先行き

〜原子力政策を白紙から見直すと言った菅総理の発言はその後どうなったのか。こういういい加減さが信用をなくす〜

Tu.Jun.21.2011

ハイサーイ!私の徒然草 小春日和の韓国語のお勉強
環境エネルギー研究所
 自然エネルギーを開発するということはいいことだが、原発は段階的に廃止していくということを明確に言わなくてはあまり意味が無い。原発の数が少なくなったとしても存在する限りその危険性については依然として変わらない。事故の確率の問題ではない。

 テレビのニュースではっきり知った。海江田経済産業大臣がIAEAの会議ではっきりと、日本は今後も原子力発電を続けて行くと演説した。国内では原発を今後も続けて行くとは直接的には言っていなかったように思う。

 ただ、菅総理が浜岡原発の停止要請をしたが、廃炉とは言っておらず、津波対策の計画を出せと言っているから、防波堤で大地震と津波が防げるものだろうかと疑問に思っていた。浜岡原発以外の原発については明確な発言は無く、津波対策と電源対策を指示して、早々と原子力保安院が玄海原発に安全宣言をして海江田大臣が運転再開を要請した。

 福島原発事故の後始末も全てが想定外の泥縄でまともに進んではいない有様で、事故の検証も、原子力発電所の安全基準の根底からの作り直しもせず、単に福島原発の事故原因である津波対策と電源対策だけちょっと見直しただけで、いったいこれで大丈夫なのか。大丈夫な訳が無い。なのに運転再開を急がせているというのはあまりにもおざなりである。

 全国の原発自治体はさすがに今回の福島原発の事故を重く見て原発の安全性について慎重な態度を取っているのに、玄海町長は突出して早々と運転再開容認の意向を表明しているのはいかにも玄海町民、佐賀県民、周辺自治体住民、日本国民に対する責任の重みへの自覚が欠如している。

 こういういい加減さというか、甘さの長年の積み重ねが、大うそが発覚した日本の原発は安全だという安全神話をエスカレートさせ、経済優先で原発事故の危険性をすっかり忘れ去らせた。こんな大事故が起きているのにまだ目が覚めない。

 一体経済に対する原発の有用性と、一旦事故が起きて失うものとを比べたときそのマイナスの方がはるかに大きい。絶対に取り返しがつかない。それでも原発を推進する、あるいは容認して行くというのは、事故を「絶対に」起こさないという前提が必要である。

 この絶対には絶対にであって、「人間のすることだから絶対ということはありえない」という心の隙が微塵もあってはならない。絶対ということはありえない。必ず再び大事故は起きる。だから原発を容認して行く姿勢というのは目先のことしか見えておらず、「あとは野となれ、山となれ」と思っていることになる。

 それはそうでしょう。今回の事故を目の当たりにして、今後人生を原発にかけようとする若い人がどのくらいいるでしょうか。大学の原子力関係学部学科に進学する学生がどのくらいいるでしょうか。心ある若い人ならば避けるのではありませんか。

 志願者数が減るとか、合格ラインが低下してそこにしか合格できない学生が仕方なく選ぶとか、原発産業には就職しても原子力発電所は嫌だというか、いずれにしても技術者の質の低下、数の不足を来たし、今後の原発の安全性の確保どころか、運転そのものができなくなるのではないか。

 発電所ばかりではなくて、使用済み核燃料の再処理、永久的なメンテナンスの仕事もある。放射性物質の最終処分場などでも仕事をしなくてはならない。人が足りなければ施設の方で泥縄で養成して働かせるしかない。

 今回だって事故処理で一番危険でしかも一番大切な仕事をして来たのはどういう人たちだったかを考えてみて下さい。正規の東電社員ではない。ほとんどが、協力会社などとおだてあげているけれども、結局は否応が言えない下請け会社にさせて来たではないですか。東京電力や国がどこまで責任を持ってやったか。

 原発の背筋が寒くなるような今後の状況はすでに見え透いているではないですか。私はこう言う無責任な政権は支持できない。