| ハイサーイ!私の徒然草 | 小春日和の韓国語のお勉強 |
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自分は安全なところに住んで他人が犠牲になることをなんとも思わない原発推進族は許されない。勝手すぎはしないか。自ら原発の近くに定住してから原発再稼動を言うべきだ。そういう意味で原発推進は究極の差別である。 エネルギー資源が足りない日本では原子力に頼らざるを得ない。だから危険でも原発は推進せざるをえないというのが原発推進派である。 電気が必要だから原発を作るという考え方をするならば、おそらく際限なく原発を作り続けなくてはならないだろう。 世の中が物と金で回っている。政治も経済中心に動いている。物と金で動く社会というのは競争原理で動いていく。際限のない競争が続く。 民放の番組を見てもわかるとおり、国民の精神を高める数少ない番組を除けば、それを見ている国民が消費する電力は大変な無駄使いである。それが現状ではないですか。そういう無駄を端折ればそんなに電力は必要ですか。 欲望のままに生活すれば電力はいくらあっても足りないのは当たり前である。電力の供給を絞って少しは国民に自制的な生活をさせるべきだ。 物を大量に作り大量に消費させ、大量に売りさばく。コストダウンのために低賃金、人減らしに努める。機械化、ロボット化、コンピュータ化によって人が必要なくなった。 就職口がなくなるのは当たり前ではないか。特別の技術とか才能がある人しか仕事はなく、残りの大多数は誰でもできる単純作業、代わりは他にいくらでもいるから低賃金でしかも不安定な非正規雇用で働かされる。 GDPが増えれば豊かになるというのは大嘘である。競争原理の究極には、雇用の喪失があり、豊かになる人はなるけれども多くは生活コストが上がるのと格差拡大で生活は苦しくなるばかりでいいことはない。 意味のある価値を生み出す働き口が失われる結果、テレビのCMを見てもわかるけれども、生きていく上で必要でもないものが世の中に出回り、無駄なものを使い捨ててお金を回すしかない。お金のある人は無駄なものを買って、富の再配分をするがいい。 経済競争が激しくなればなるほど電力は浪費される。際限はない。経済の原則を当然のこととして原発推進を主張する者は、原発所在地に社宅を作って定住すべきである。 原発のことをよく知りもしないのに、原発は安全だ、日本の原発は安全だと言い張って誘致した自治体幹部と推進派だった住民、それから原発推進に加担したマスコミ関係者は原発で事故が起きたときは原発と運命を共にすべきである。 九州電力も点検中の原子炉を5月から再稼働するといっているが、馬鹿もいい加減にしろ。これまでの電力会社の原子力発電所の安全を広報したテレビCMや広報誌を今再度すべて公にしてみせよ。 学生は原子核工学を選択しないことが身のためである。原子炉はじわじわと長期にわたって地球を汚染し続け、核兵器は瞬間的に地球を滅ぼす。紙一重である。人類の生命と引き換えに物と金を追い続けるつもりか。 津波が想定外だったから次は津波対策を検討せよと政府は指示を出した。しかし次は地震・津波以外の想定外の事故が起きないとでも言うのか。 使用済み燃料の処理はどうしているか。それほど原発が安全だというのであれば、電力会社の幹部はじめ原発部門の社員は原発の地元に社宅を作って住むべきだ。 この期に及んでも原発再稼動を容認するのは再び原発事故が起きることを覚悟の上か。原発のコストが低いと言い張るのであれば、原発事故の補償能力がないなどと言ってはならない。 |