| ハイサーイ!私の徒然草 | 小春日和の韓国語のお勉強 |
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この言葉は私が考えたのではなくて、社会学者ウルリッヒ・ベック氏が使っておられたので借用しました。 19世紀の枠組みでは現代社会の大きな問題を解決することは不可能だとおっしゃっていました。19世紀の枠組みとは、比較的小さな問題を解決する枠組み、たとえば、法律や物の考え方をさすと思います。 ひとつ例を挙げておいででした。 複数の化学企業が汚染物質を含んだ排煙や排水を出して住民が公害病にかかったような場合、間違いなくその公害被害を受けているのに、因果関係を証明しようとしてもはっきりせず、被害を受けた住民が裁判で負けてしまうというようなことが起きる。 これはまさに、今回の原発事故のように、地域的にも広範囲で(厳密に言えば地球規模になる)、時間的にもいつまでその被害が続くかわからない。被害を受けたことは間違いがない。 しかし、現在の法律でその責任を問おうとすれば、因果関係を証明しきれないケースが膨大な数になる。つまり、因果関係を証明できるのはごく限られたケースになってしまう恐れがある。 だから、被害補償は明確に因果関係が証明できるケースに限るという取り決めをすれば、明らかに被害者のほとんどが切り捨てられてしまうことは明白である。 被害者の側からしても、社会正義からしても到底許せる話ではないのです。こういうケースは多い。加害者に有利になっているのです。社会の枠組みが時代に全くあわなくなってしまっている。 主な加害者はいても、それに加担した者も含めて、お金で組織的に結びついた複数の加害者が存在する場合、これは「組織化された無責任システム」ということになるのではないでしょうか。その明確な事件が今我々の目前に展開している訳です。 だからといって、「しかたがない」ですませていればいつまで経ってもしかたがない。 |