利己的な似非エリート社会の恐怖

Wed.May.18.2011

ハイサーイ!私の徒然草 小春日和の韓国語のお勉強
環境エネルギー研究所
 日本政府も、電力会社も、マスコミも、一般国民も、福島原発の大事故を目の当たりにしても、まだ原発の安全対策などありえないことを理解していない。菅総理は今ある原発は残していくというようなのんきぶりである。再度想定外の大事故が起きなければ目が覚めないのかもしれない。

 もうひとつ、全く想定していないことがある。それはテロの攻撃である。ウィキリークスによれば、アメリカから再三にわたってその危険を指摘され、武装警官なり、自衛隊なりによる警備をするよう要請されていると言う。

 当然想定して備えておかなくてはならないことである。全ての原子力発電所に自衛隊を派遣すべきである。それでも北朝鮮によって空からミサイル攻撃されればひとたまりもない。原発を狙えば別に核兵器を使わなくても通常のミサイルで十分である。

 どんなに警備を厳しくしてもテロリストがその気になればテロは防ぎきれるものではない。自前の核兵器をこんなに沢山並べて、さあどうぞと言わんばかりである。テロに対してあまりにも無防備である。これもきっと「まさか!」と思っているに違いない。

 原発をなくしたときの経済的損失に比べて、原発事故が起きたときの損害の大きさを考えれば、原発のメリットなどありはしない。原発のコストは無限大である。

 ほとんど意味のない安全対策に時間と労力を費やすくらいなら、脱原発への準備を始めるのが賢明である。

 原発しかないと思った瞬間から思考停止である。しかし、原発は禁断の果実だと覚悟を決めれば、この日本には思いもかけない技術が生まれ、世界とは全くちがった発想が生まれると思う。

 覚悟を決めて踏み込まなくては、思考停止した頭でいくら考えても新しい発想は生まれはしない。想定外の新しい技術は生まれない。

 お金だ、塾だ、私立だと、学力競争に明け暮れているうちに、この国では本当のエリートは枯渇してしまった。知識だ、情報だと、物知りは増えた、理屈ばかり言う人間は増えた。しかし型破りの発想ができる本当のエリートが消えた。みみっちい利己的な秀才ばかりが増えた。

 特に、政界、財界、学者、マスコミ、いわゆる似非学力で社会的地位をえてきた人々が集まる社会の中枢には先が読めない目先人間ばかりになってしまった。人間的迫力がないから日本の政治家が外国の要人と相対すれば人間的に負ける。参議院の予算委員会の発言、野次を聞いても下品でお粗末でおおよそ良識の府の議員とも思えない。

 こういう人たちは、考えていることが枝葉末節で、肝心なことに気が回らないから、想定外を生む。競争原理で生き抜いてきただけに、利己的である。

 自分は原発事故の被害を受けないところにいて、過疎地の人々のこと、自分以外の国民のことなどどうでもよい、とにかく経済だ、金だという、利己的で差別的な発想しかない。人間の生命を最も大切にする気持が欠落している。恐ろしくなる。