| ハイサーイ!私の徒然草 | 小春日和の韓国語のお勉強 |
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地球温暖化防止のために二酸化炭素削減が問題になっている。そのために、中央には全国地球温暖化防止活動推進センター(JCCCA)、各県にはさらに財団法人・県地球温暖化防止活動推進センターが作られた。 地球温暖化防止活動推進員を一期引き受けた経験から、いったいこの組織はまともに機能しているのか、その啓発効果はあっているのか疑問に思った。 仕事ができる環境がまったく整わないまま丸裸の財団法人を全国に作ったことにあると思う。財団法人を作って、地球温暖化防止活動推進センターの書類上の組織図は詳しく出来上がっているけれども全く機能していないと感じた。 どうしてこういう設立の仕方をしたのだろうか。これは旧政権時代の政府の政策として設立されたものである。仕事ができる環境になっていなくても仕事をしないわけにはいかない。担当者は大変な心労があろうと思う。こういう財団法人の設立の仕方そのことに問題があると感じた。 地球温暖化防止が問題になったのをいいことに、天下り先として設立したのではないかと勘ぐりたくもなる。国民や県民の税金がどのくらいつぎ込まれて、どのくらい実績が上がっているか総括する必要がある。形の上では(書類の上では)活動実績として残っているはずです。実質どうかという問題です。 このことと直接関係があるわけではないけれども、政治的には、間接的には、原発推進を補強する意味はあると思います。 二酸化炭素排出を減らさなくてはならない。しかし火力発電では二酸化炭素排出を減らすことはできない。原子力発電ならば二酸化炭素が出なくてクリーンだという宣伝と表裏である。安全神話を演出して国民をだました責任は重大である。 しかし、国の安全基準がどうであれ、事故の責任は専門家である電力会社やメーカーにある。原発に想定外は許されない。想定外の事故がありうるとすれば、原発は作ってはならなかった。素人が原発を容認したからと言って素人に責任があるはずがない。あるとすれば不勉強だったことの道義的責任である。 原発の装置は大掛かりだが、原理や、実際にやっていることは、まさに原「始」力発電である。電力が足りないから原子力発電だ、原発は安全だという考え方そのものが単細胞で安易で原始的である。それを不勉強な人たちが根拠もなく、安全だと思い込む。だました人間がだまされた人々に責任を転嫁するのはお門違いである。 国民側から見れば国にも責任はあるが、だからといって一番の責任者である電力会社が当然のごとく国に責任転嫁する理由はない。電力会社が原発推進をきめた当時の政府から分けもわからずいいようにされていたとでも言うのか。 原子力発電を推進してきた国にも今回の原発事故の責任の一端があるなどと、一部の国会議員が発言しているようだが、責任があるとすれば、過去長年電力会社やメーカーから散々献金をもらって原発を推進してきた議員か政党であろう。私から見れば、それは国民に対する背信行為である。国民は被害者である。 国に責任がある」というのは「国民に責任がある」と言っているに等しい。被害者である国民が事故の責任まで負わされるいわれはない。税金で負担しなくてはならない理由もないし、電力料金値上げで負担しなくてはならない理由は無い。そればかりか、電力料金と一緒に徴収されている月300円程度の原発推進資金だって多くの国民は気がついていない。 だから、過去に長年献金をもらってきた政治家や政党こそが国民に対して責任を負うべきである。まさか民主党にはいないでしょうね。民主党は脱原発とは明言していないように思うが、原発推進容認ではないでしょうね。私が聞いた限り、脱原発を明言したのは橋下徹大阪府知事だけだ。 昔のテレビのビデオ記録を見ていたら、次ぎのような話が記録されていた。原子力発電は危険だという専門家の強い警告に対して、当時の自民党政権には「眠りこけたなまくらな学者どもの頬を札束ではたいて目を覚まさせよ」などという過激な発言をした人物さえいたという。 そういう中で学者の正当な忠告は踏みにじられて、御用学者ばかりが横行することとなった。現在では原発は危険だという声は封じ込められている。産学協同になってから、学者研究者大学教授も研究費を企業からもらえば企業の下請けにならざるをえないに決まっている。産学協同という言葉をよく聞くようになったのは、私が学生の頃だったと記憶している。一番嫌な言葉でした。大学が大学でなくなると思った。ところが今、かつての国立大学までもがそうなってしまった。 放射性物質についても、核分裂についても、原発についても、ろくに勉強もしていない国民が、みんな安全だといっているから、なんとなく大丈夫じゃないの?と漫然と流れに従ってきたというのが現実ではないか。今でも、まだ、原発容認の人の数のほうが多いらしい。信じられない話である。政府と電力会社によってよくここまで洗脳が行き届いたものだと思う。 お金と物中心に競争原理で動いているこの社会で、学力までもが競争主義の似非学力ばかり身に着けて、本当の学力が欠落していった結果である。理屈ばかり言う物知りは増えても物を本当に考えることをしなくなった結果である。 これほどの重大事故が起きているにもかかわらず、まだ原発の安全対策によって事故が防げると思うなんて信じられない話である。そういう人は一度福島の原発の地元に住んでみるべきだ。 原発の安全性について、電力会社の話や、政府の話では真実はわからない。どちらも意図的に安全神話を演出してきた仲間なのだから、洗脳されるだけである。真実は自分で勉強しなくてはいけない。 昔から「片方聞いて沙汰するな」という。反対意見にも耳を傾ける必要がある。 それに情けないのは、政府関係機関から提供された教材を鵜呑みにして、原発の安全性と利点を生徒に教えてきた学校の先生も不勉強である。これでは教師は務まらない。 戦前戦中の教師がお国のために生徒を戦場に送り出し、戦争が終わったとたんに、全く反対のことを教えなくてはならなくなったのとまったく同じケースである。 こんな主体性のないことでは、世界の大勢が脱原発に方向転換したとき日本は取り残されてしまう。中国やインドはまーだ、自分の国の原発は安全だといい続けている。こういう国と同レベルではいけない。 |