過疎地の人々に対する許しがたい差別意識

この表題に言葉を足せば、原発マネーに群がる人々ばかりでなく、原発推進を主張する人々の心の底には過疎地の人々に対する許しがたい差別意識がある。
Sat.May.21.2011

ハイサーイ!私の徒然草 小春日和の韓国語のお勉強
環境エネルギー研究所
 原発には想定外の事故がありうることは知っていて、それでも原発を作るとすれば、国民を騙すしかない。国民の生命よりも何よりも、経済最優先の考え方が根底にある。これは非人道的であり、非常に差別的である。

 先ず、安全神話の大嘘をつく必要がある。

 第2は、過疎地の自治体とその県の同意だけで原発を作るための根拠となる法律を作った。
     裏を返せば、その周辺広域の住民を無視する法的根拠を作ったと言ってもいい。

 第3、これは民主主義国家にあるまじき人権無視である。

 第4、こういう仕組みを作ったのは国家であるという驚くべき事実。

 第5、この国の各方面に広範に背後に電力会社と電力会社に群がる原子力関連産業のいわゆる原発マネーの毒素が回ってしまっていること。

 第6、国民は、政府も含めて、原発マネーと原発マネーに群がった人々の被害者であること。

 第7、政府とは名ばかりで、国民多数の味方である政府というよりは、原発マネーの傀儡(かいらい)であったこと。

 それは原発がなければ電力不足で経済がもたないから原発が必要だという理屈だけである。原発の危険性だけでは決着がつかないようですから、もう1つの視点として、許しがたい「差別意識」があるのではないですかと指摘しておきます。それでも原発推進ですかということです。

 日本の原発が安全だというのであれば、なぜ大都市の真ん中に原発を作らないのか。しかし彼らは絶対に安全だとは言わない。何事でも絶対ということはありえないという常識はもっている。少なくとも想定外の事故は想定している。

 それで東京のど真ん中に原発が作れない理由はわかった。

 じゃあ、なぜ過疎地ならいいのか。

 過疎地ならば被害が少ないと思っている。日本の交通網、通信網、都市機能が失われることがないし、失われる人命も、放射線被害を受ける人の数も少ないから過疎地ならいいと思っている。

 人口数千人かそこらの過疎町村ならば、自治体の財政も苦しい、雇用も少ない、その弱みに付け込んで雇用とお金をちらつかせてばら色の生活を描いてみせて、町民、町長、議会、多数派形成は簡単だ。反対する住民がいても村八分にするか、住民が原発をめぐって反対賛成まっ二つ。

 立地する県にも交付金を出して県知事と議会を取り込んでしまえばいい。住民には安全神話攻勢である。

 例えば、玄海原発ならば、なぜ、少なくとも西日本一円の、原発事故で被害を受ける可能性のある全ての自治体の住民の同意を得ないのか。

 これは何を意味するのですか。

 過疎地の住民の人命軽視であり、過疎地に対する重大な差別である。それを国ぐるみでやっていたということになる。立地する自治体だけではない。その周辺広域に住む日本国民の生命に対する軽視である。

 広汎な住民の同意をそう簡単に得られるはずがない。強い抵抗にあうことは必至である。だから過疎地の自治体の同意だけで原発を作ることができる仕組みにした。

 これは原発マネーと政府がグルになって、過疎地の住民だけでなく、国民をだまし討ちにしてきたことになる。

 政府ごと原発マネーによって丸め込まれたというべきである。折角政権交代したのに、新政権も原発政策を踏襲してしまった。

 永田町もマスコミも、大学研究室も大学教授も御用学者にしてしまい、官僚組織までも丸め込み、マスコミも原発安全派になり、国民は安全神話で集団催眠にかかってしまっている。

 ここまでくれば、何をか言わんやである。原発マネーによる自作自演に近い政府のお墨付きがあるから、我々は政府の原子力政策に協力してきたまでだ。何があっても政府にも共同責任がある、とこういう筋書きが出来上がった。

 日本国中原発マネーと安全神話で塗りつぶされた。原発は危険だ原発に頼るべきではないなどといっても聞く耳もたず。お金と人事で口を封じられた。

 もちろん原発について理解している国民はそんな安全神話など最初から誰が信じるものか。