気管支喘息と性格傾向

〜アレルギー体質と心の生活習慣によるストレスとの兼ね合いで気管支喘息が起きるという認識です〜


2009.05.26修正
Fri.Sep.15,2000

[ハイサーイ!私の徒然草]  

   誰にでも当てはまるかどうかはわからないのですが、基本的には、アレルギー体質と心の生活習慣とアレルゲンとの兼ね合いで起きると思うのです。「気管支喘息と性格傾向との関係」を考えてみました。

   “ストレスが原因”という言葉が独り歩きして、実際には“心”へのアプローチのない薬漬けの治療ではいけない。心とからだを全体として見ないで身体症状に対するマニュアル的な対症療法を延々と受け続けていては、治るはずの人が長年苦しみに続けなければならない。

   アレルギー体質は今でも変わっていない私でさえ、正しい治療を受ければ治るのだということを体験しました。あのひどい気管支喘息が治ってからは一度も再発していません。これから先も大丈夫だと思います。

   中学生の頃からすでに内科で治療を受けても薬は効かなくなっていた。30才過ぎてから、自分の喘息は一生治らないだろうと思っていたけれども、今まで受けたことのない治療がひとつ残っていた。

    九州大学の池見酉次郎先生のことは著書を読んで知っていた。当時は心療内科はできたばかりで、世間にはあまり知られていなかった。それに自分の喘息が心身症だとは信じ難かった。しかし残された可能性は心身症しかなかった。

   なぜ心身症に思い至ったかといえば、私は中学生の頃までは学校は休む、遅刻はする、ふざけて迷惑をかける、勉強は全くしなかった。あるきっかけがあって、こういうことではいけない、自分を変えなくてはいけない、落ち着いた真面目な性格になりたいと悩み続け自分と闘っていた。

   性格について書かれた心理学の本に関心があった。心理学の講義を受講した。森田正馬博士の森田神経質(今でいう神経症)、フロイトの精神分析、心身症関係の本までよく読んでいた。不消化だったけれども、自分の喘息が心身症の可能性もあると考えるヒントにはなった。

   最後のチャンスと考えて、症状が一番重い日の朝、九州大学付属病院の心療内科に駆け込んだ。そこで吾郷晋浩先生と出会った。

   吾郷先生は、各種検査の結果と自己申告した私の性格傾向から心身症の可能性が強いことがわかった。発作が起きるしくみをていねいに説明して下さった。最初のひと月くらいは薬をもらったり、減感作治療も受けた。しかし実際には薬はそれほど使わずに喘息発作は1ヶ月位でほぼ治まった。もちろんそれで治ったという自信はなかった。

   いつまでも自分の喘息が治ったという確信が持てずカウンセリングは数年受け続けた。いつ発作が起きるかと不安だった。しかしその後何年経っても発作が起きることはなかった。発作が起きないという実績を重ねてやっと治ったと確信できるようになった。

   カウンセリングによって自分のこれまでの心の生活習慣が改善できたことは、喘息が治ったこと以上に、その後の人生に変重要な意味があった。知識や情報をいくら頭に詰め込んでもそれだけでは、実際に自分の問題を解決した体験がなければほとんど役に立ちはしない。むしろ有害無益かも知れなかった。自分が変わりたいと何年も悩み続けてきたからこそだと思う。

   幼児期に小児喘息があり、いつ呼吸が止まるかと母は心配した。見かねた母に連れられて九大病院で診察を受けた。当時はアレルギーといわず、特異体質といわれた。診察室を出て病院の廊下で母が私に言った。

   つい5〜6年前かかりつけのクリニックでも血液検査の結果、何かアレルギー疾患はありませんかといわれた。つまり私のアレルギー体質は幼少時から変わってはいないのです。

   よほど強いアレルギー体質なら別ですが、アレルギー体質だったとしても、ただそれだけで、アレルギー物質が体内に入っただけで喘息発作が起きるとは限らない。

    強いストレスが重なったときに、アレルゲンに対する身体の反応が高まって発作が起きる。人によっては、ストレスを生じやすい「心の生活習慣」を改善することによって喘息発作が起きなくなる可能性があるということです。

   同じ状況におかれてもストレスをあまり生じない人と強いストレスを生じる人との個人差がある。同じ人でも心の生活習慣の変更によって天と地の差が出てくる。

   自分自身の心の習性を観察して、どういう習性が気管支喘息の原因になるかということに気づかせてもらってその原因となる心の習性を修正することによって治る。それは再教育というか修正教育だと思います。だから喘息が治ったときには、どこがと言っても、つかみ所がないけれども、以前の自分から生まれ替わった部分がある。

   喘息もちの人には、あれこれ考えすぎて思ったことを率直に言えない、遠慮ばかりする。人のことなど気にしないでしゃーしゃーとしているよりはよほどいい心をもっているのです。しかしそれが度を過ぎれば災いする。人に迷惑をかける代わりに自分が病気になる。

    遠慮ばかりして思ったことがいえないのはなぜでしょうか。それはいつも何かを恐れている殻ではないかと思うのです。たとえば、人から嫌われはしないか、笑われはしないか、叱られはしないか、相手の気分を害するのでないかなど、そういう気持が脳裏をよぎるからつい自分を抑えてしまう。

   ところが表面とは裏腹に、心の中では不満が蓄積し、はらわたが煮えくり返っている。この抑圧された怒り、抑圧された精神エネルギーはいつか爆発という形で噴出する。常日ごろはおだやかな人だと思われていた人が、ちょっとしたことがきっかけで、突然怒りが爆発することがある。

   さらに抑圧が強ければ精神的なエネルギーは喘息発作という身体症状となって噴出する。そういう言い方もあるけれども、ストレスが、抑圧された精神的エネルギーが脳の自律神経系やホルモン系の中枢の働きを混乱させる。

    ストレスが現実に脳を萎縮させる。前頭前野を萎縮させてやる気を失わせてしまう、集中力をなくしてしまうなどという言い方もある。精神的習性によるストレスは慢性的なストレス状態といえる。

    こういう抑圧の強い性格傾向は生まれつきの気質と、幼少時の親のしつけに関係があると思う。しつけが厳しいとか、禁止事項が多すぎたとか、過保護、過干渉の結果ではないかと思う。喘息持ちの人が自分自身を抑圧する傾向は幼少時の親子関係のパターン、つまり親から叱られはしないか、嫌われはしないかという恐れがそのまま、成人してからの人間関係にまで及ぶとにある。

   喘息発作が激しかった時期と、完全に治った後の自分を比較してみると、組合闘争が激しかった時期にも、管理職からにらまれたら大変だと、ひそかに闘う相手を恐れる気持があった。しかし、喘息が完治した時にはそういった気持はふっ切れていた。思ったことは率直に言うようになっていた。

   いい子であろうとする気持がふっ切れたとき、何かを恐れる気持がふっ切れた時、喘息はうそのように治ってしまう。薬や減感作治療や身体の鍛練なども大切だが、心身相関の視点が欠かせない。今苦しんでいる喘息もちの人々の多くが精神的生活習慣の改善でその苦しみから解放されるのではないかという気がする。

   カウンセリングは再教育であり、また自己変革の過程です。気づきが早ければ比較的早く治るけれども、自分の心の中をさらけ出すのは嫌だとか、怒るとか、やめてしまえば治らない。時間がかかる。

   喘息が治る過程は自分の内面を観察する過程だと思います。現代社会に最も欠けていることですから、単に喘息が治るというだけでなく、人生全般への波及効果は大きいです。

    何事もなければ自分を振り返るチャンスはそんなに多くはない。心身症であればこそ成長のチャンスが与えられたのだと思いました。

2000.09