| [ハイサーイ!私の徒然草] |
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仕事の密度が低くても、だらだらと1日が終り、だらだらと明日がはじまるような達成感のないことほど神経疲れすることはない。 私は2002年度の高校講師を希望して教育委員会に登録した。4月半ばになって中学校から来てほしいという要請があった。中学校で教えたこともない私になぜ中学校から? 明日は遠来の客とハウステンボスに行くことになっていた。中学校は経験がないから一応は断った。しかし、講師が見つからなくてお困りの様子だった。新年度の授業はすでにはじまっており、学校の状況を考えると、考えさせてほしいという状況ではない。 私の最初の赴任校は佐賀県一の伝統校であり、進学校だった。次に転勤したのが何年か前に全国高校野球で初優勝した佐賀県の県立高校、その後採用試験を受けて福岡県の高校に転勤した。県を越えての転勤は新卒と一緒に採用試験を受け直すのが早道だった。 私はこれまで、普通高校の次は農業高校、再び普通高校、そこが長くなると、自分から希望して定時制高校へ転勤し、更に工業高校、通信制、私立高校と未経験の学校への異動を希望してきた。新しい経験をするたびに人生観は広がった。そして中学校まで。 あらゆる種類のあらゆる状況の学校を経験しているということで退職後はよく声がかかった。この中学校のときも、健康診断を受けに行ったクリニックで、初対面の若い看護士さんから、あなた、よく声がかかりましたね、今、希望者は多いけれども採用が非常に少なくてなかなか声がかからないんですよといわれた。 さすがに中学校はちゅうちょしたけれども、人がいないのなら仕方がない。新しい挑戦だと思って引き受けた。人がいないはずはない。しかしなぜか来てくれる人が見つからなかったらしい。私にできる限りのことはするつもりで引き受けた。 あとで聞いた話では、新卒の先生が4月に入って突然やめたのだという。この中学校は大荒れに荒れた後、やっと一段落したばかりだそうである。来てくれる人がないのは、だからかな〜と勝手に思った。 小学校を出てきたばかりの1年生は素直でかわいかった。教科書は絵本のようだし、ちょうど植物からはじまっていた。教科書には結論は書いてなくて、すべてが実験観察から入る。観察して自分で考えてみましょうという形になっている。 私は高校物理の教師だったけれども、生物系の学部の出身でしたから生物はできる。植物の観察は生徒も喜んだ。しかし中学校には高校のように理科助手はいない。授業の空き時間も少なくて実験や観察の準備、後片づけの時間がない。時間外にするしかない。 生徒の人数分のタンポポの採集、顕微鏡で微生物を観察させるための池の水汲みなど、教材集めは勤務時間後の明るいうちにした。タンポポだってどこにでもあるわけではない。昔のように、ゾウリムシやミドリムシなどがいそうなドロドロの下水溝なんてありはしない。池だってフェンスが張り巡らしてある。 朝のホームルームと読書会、この時間が長い。1時限目の授業の始まりの時間が遅くなる。高校と違って給食がある。給食の準備の時間、食べる時間、後片付けの時間、さらに昼休みがあるから午後の授業は更に下がる。 給食のときは一時も目が離せない。目を離せば人の分まで食べてしまう生徒がいるから、食べそこなう生徒がでる。昼休みはいじめ防止のために校内巡回。ほとんど休憩時間はない。 放課後は掃除の監督がひと仕事。生徒が下校するのは週2日くらいは3時半、あとは4時半である。だから勤務時間内に自分の仕事をする時間がほとんどない。全体の職員会議は一応勤務時間内に設定するが、教科会議や学年会議は全部勤務時間外である。 授業のわずかの空き時間が突然消える。県立高校なら、欠勤するときは、仮に当日急にであっても、教務が時間割を他の教師と入れ替える。しかしこの中学校では朝電話一本で突然休む。学年主任が見計らって時間の空いた人に穴埋めを頼む。頼まれた教師の時間は突然消える。そういう風だから全く予定が立たない。しかたがないから毎日40分くらい早く出勤して自分の仕事は済ませることにした。 高校なら会議の時間に遅刻する教師はいない。会議は予定時間内に終わる。やむを得ない場合には全員の承諾を得て延長する。時間外の拘束はない。この中学校では時間になっても集まらない。実験の後片付けもある。次の日の植物採集もある。いくら時間があっても足りないのに私は待たされる。 学年会は当然のごとく5時半過ぎに設定する。和気あいあいとしているのはいいが、いつ終わるか目処がない。大体7時半から8時くらいにはなる。結論が出ないと続きは明日しますか、明後日しますかというから個人生活の予定が全く立たない。 既婚の女性教師も早く仕事を終わらせて帰らなきゃという様子がない。20歳代の若い女先生は保育園の門限が7時なので遠慮がちに帰る。独身の頃は辛いとは思わなかったが、結婚して子どもができた今、とても辛いという。他の女性教師はどうしているのとたずねた。私以外はおじいちゃん、おばあちゃんに子どもをあずけているという。 やっと7時過ぎに会議が終わる。どこそこの近隣公園で落書きが見つかったので今から車に分乗して消しに行きますという。教師がなぜそんなことまでしなきゃならないのだ。地域の自治会でなんとかしろといいたかった。PTAの役員会、外部団体の学習会が夜開かれる。 私は生徒の提出物を早く見て明日返さねばならない。持ち帰ってできる分は持ち帰るが、理科の実験室の後片づけがまだ済んでいない。日暮れ前に明日の教材の植物採集や池の水汲みにも行かねばならない。気が気ではない。 試験の成績締め切り日を決めても4、5日遅れるのは当たり前。高校ならば何月何日何時と決めれば遅れる人はいない。この中学校では若い先生は別として、ほとんどの先生がコンピュータに慣れていない。これを電卓と手帳で計算なさる。日程そのものにも無理がある。中学校の先生は多忙でコンピュータの使い方を習得する暇が無い。 私は締め切りに一日余裕をみて出すのが長年の習慣だった。隣の先生が、火曜日が締め切りだけど、私のクラスの成績は今週中に出して下さればいいですよと親切に言ってくれた。私はすでに昨日提出済みだった。私よりひと足早いのが20歳代のあの女性の英語の先生。 生徒が手がかかると言ってもこのくらいは高校でだって当たり前、同僚の先生たちも和気あいあいとしている、仕事の量は私の場合クラス担任はない。部活はない。高校に勤務していた頃よりはるかに仕事量は少ない。なのにやたらと拘束される時間が長い。待ち時間と達成感のない仕事を毎日綱渡り的に消化しているだけに思えた。これは学校管理の問題だと思った。 給湯室でお茶を飲んでいると、先生たちの悲鳴が聞こえる。この仕事やめたいが、子どもが独立するまではやめるにやめられない。定年までつとめるのは管理職くらいで、2〜3年早く退職するのが普通だとか。病気入院が多いとか聞く。確かに皆さん顔色が冴えない。 過去の私の多忙さからすれば、このくらいの仕事で身体が疲れるはずはない。わけのわからない神経疲労ばかりがつのる。こんなことは未だかつてなかった。とても約束の年度末までは神経がもたない。 県立高校ならば勤務時間外まで公務で拘束することはない。5時で完全に解放される。だからといって5時になったら帰宅できるほどひまではない。それから先は個人の裁量で8時まででも12時まででも仕事をして帰る。必要なら早朝に出勤する。家庭訪問だってする。現職の頃はどんなに忙しくても疲れたという記憶はない。 遅刻あり、朝電話1本で突然の欠勤あり、会議の時間を守らない、予定していた時間が突然消える、行き当たりばったりに降りかかってくる仕事に追われる。仕事のめりはりもなくだらだらと1日が終わり、また明日が始まる。だからといって先生たちが悪いというのではなくて、皆さんきわめて誠実なのである。ただ忙しすぎるというか、その原因は組織全体としての要領の悪さというか、学校管理の問題だと思った。 仕事の量そのものは少なくても、綱渡りのように不安定で達成感がないまま、無定量に拘束時間が長い、個人生活の予定が全くたたない、これは精神的に非常に疲れる。このままでは神経がもたない。私はこれは私が悪いのではないと思った。無理はしないことにした。 4月から9月までの半年契約の自動更新で、来年3月までという約束だったけれども、9月までで契約更新しないと私が言えばこれは大変困った状況になる。学期半ばの中間試験の前であること、週の途中で教師が代わるなどということは常識では考えられない。 (※ それを考えると、総理大臣が2人も突然職を放り出すなんて本当にすごいことだと思う) 先生たちは、私に愚痴をこぼすけど、私が現職ならば職員会議に諮るなり、職場の問題点を洗い出して改善を図る行動に出たに違いない。組合はあるのに職員の勤務のあり方について話し合う気配がない。講師である私の場合には闘う立場にはない。仕事を辞める以外にない。私は1学期でやめさせて頂くことにした。この時期にやめるのが一番迷惑をかけない。 退職の申し出はやめるひと月前までにしなくてはならない。このひと月が辛かった。主任であれ、誰であれ、一言でも私がやめることを言ったならば、必ず周囲に漏れる。仕事がしにくくなる。第一私の気持がくじけてしまう。そうならないために、校長以外には絶対に漏らさなかった。私は少なくとも4月のこの学校の窮状を切り抜けるために役割は十分果たしたと思った。 成績出しが一段落した、終業式の一週間前に校長が職員朝礼で私の退職を告げた。職員室にどよめきが起きた。これまで黙っていたことを皆さんに詫びた。この学校の理不尽さをぶちまけてやめてほしいと何人かの先生が言った。しかし、私は健康上の理由でご迷惑かけますで通した。 1学期の終業式の日がやって来た。途中でやめる後ろめたさなど微塵ももってはならないと胸を張ってステージに上がった。私は全校生徒を前に最後の授業だと思った。 ほんの2〜3分の話だった。2〜3分という時間は相当にいろいろなことが話せる。しかし、意識的にゆっくり、言葉と言葉に十分に間を取りながら話した。意を尽くせたと思った。他の先生たちへのメッセージのつもりでもあった。 反応はどうだったか不安に思いながら職員室に戻った。国語の女先生が「きょうの話、よかったー。感動したー」とおっしゃって下さった。辞職した日は早めに帰宅した。玄関を入るや否や、早速別の高校から、9月から来てくれないかという電話が入った。今はそれどころではない。 辞めてほっとして、張っていた気がゆるんだ。疲労がどっと出た。2日間床から起き上がることができなかった。その後一層疲労感がつのり、気分が悪化し、8月になっても9月になっても、だらだらと疲労は続いた。まったく何に対しても意欲が出なかった。自分が思っていた以上に心身が疲れていたことを知った。8月末に引き継ぎのために学校に出向いた。若い理科の先生が決まっていた。これで一安心した。 これは極度の神経疲労による軽い「うつ」だと思った。思い切って辞職を決断してよかった。 10月には繰り返し繰り返し激しい頭痛に襲われた。思い当たるきっかけもなく、突然頭痛がはじまり、訳もなく突然消える。病院で処方されたどんな強い頭痛薬も全く効かない。 完全にふっ切れたのは退職後4ヶ月経った11月下旬だった。すべてのことが上手くいったうれしい夢を見た。目覚めた時すっかり生まれ変わていた。やるぞという意欲も戻った。 |