| [ハイサーイ!私の徒然草] |
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1992年4月から定時制高校に転勤した。体調は完璧だった。 しかし多忙になり、1992年から3年間続いていたウォーキングは1995年(H7)4月から中断し、生活リズムも食習慣も完全に崩れてしまった。以後6年近くなんとか過去の健康貯金で健康は維持した。2000年には体重が70kg重に戻ってしまった。10年前に感じた危機感はなかった。 2001年(平成13年)の1月、血圧が130を越えているのに気づいた。7月19日から県立高校に常勤講師として採用がきまって、健康診断を受けにいった。看護士さんが間隔を空けて何度もはかってくれた。150を越すことはなかったが、その一番少ない値が140で、あとは150を越えることはなかったけれども、145以上だった。下は90近くに達していた。 降圧剤は身体に悪い思っていた。それから12月になって血圧が150〜160になった。かかりつけのクリニックで降圧剤の処方をお願いした。医師は高血圧とは言えない境界領域だから治療の必要はないと言った。私は「この血圧で倒れることはないとしても、脳の小さな血管が切れて数年後に性格が変ったり、ぼけたりしたくないので130以下に抑えたい。是非お願いします」ということで通常の量の半分のノルバスク2.5mgを出していただくことになった。当時の高血圧に対する基準はその後変わり、血圧は130以下に下げておいた方がいいというのが一般的になったそうである。私が降圧剤をお願いしたのは正しかった。 詳細は省くけれども、私は1989年に尿酸値が高いことがわかって、減量とウオーキングで7.0まで下げたけれども、これは体質ではないか。これ以上は無理だと思った。当地に引っ越してから間もない、1994年(H6)頃、かかりつけのクリニックで、「尿酸値を下げる薬がほしい」と言った。 「7.0だったら限界値の上限の範囲内だし、治療の必要はない」と言われた。しかし「過去に8.5という高い値が何年続いていたかもわからないし、尿酸が身体のあちこちに沈殿している可能性もある。これを排出するには5〜6の範囲に下げる必要がある。通風が起きるか起きないかの問題ではありません」と言って、これも半ば無理にお願いして薬を出して頂いた。 しかし、2006年1月から通院している基幹病院の医師が、2009年7月のついこの間、「尿酸が高血圧に大きな影響を与えることがわかってきました。あなたはずいぶん前にそれを先取りしてこられました」と言われた。 これは治療基準というか、マニュアルによる医師の対症療法よりも、病人が自分の頭で考えて自分でした判断の方が正しいことがあるということです。それは自分のことばかりではありません。他にも経験してきています。 1989年5月、職場の健康診断で「クレアチニン」「ヘマトクリッと」と「尿酸値」が高かった。尿酸値は8.5だった。直ちに医療機関で指導と治療を受けるようにという指示があった。 そこで訪れたのが某私立大学病院。医師はこのくらい今は多いものです。治療の必要はないと言った。耳を疑った。私は別の病院に行くことはせず、自分で解決の努力をした結果、半年後には減量によって尿酸値を7.0まで下げることに成功した。 1989年当時は、節度なく腹一杯食べていたから「肥満」していた。顔は丸く、イスに座るとカッターシャツのボタンがポロポロと外れる。時々は「大腸からの大出血」もあっていた。「腰痛」も「膝痛」もあった。 そういうこともあってかなり危機感を持った。栄養のバランスを考え、カロリーは1日1800kcal、アルコール、清涼飲料水は飲まない。間食はしない。夕食は早めに済ませる。徹底した食習慣の改善をした。 最初は空腹を感じたが、体重は半年で65kg重(最小62kg重)になり、尿酸値は7.0まで下げた。治療する必要がないと言った医師がどうやってこんなに短期間で尿酸値を下げたのかと聞いた。 1〜2年過ぎた1992年(午前中に空き時間ができた)、食事量は減らさず、1日1時間のウォーキングを追加した。ウオーキングでは減量しなかったが、空腹感が快く感じ、からだは軽快になった。雨降りでも傘をさしてでも歩きに出ないと落ち着かなかった。 あのひどい腰痛も膝痛も完全に治り再発していない。このときも腰痛と膝痛で通っていたクリニックの医師が、「歩く」ことがこんなに効果があるとは・・と言った。病人本人の危機感があるかないかが決め手になる。 |