| [ハイサーイ!私の徒然草] |
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1989年という年は、私が一番不健康な時期だった。何から書けばいいかわからないけれども、健康の最初のカギを握るのは自分だと思った。 以前からときどき大腸からの出血があっていた。痛みもなし、痔でもなし、何だろうと思いつつ数年が経っていた。 1994年秋に友人が職場の健康診断で見つかった胃ガン手術のためにがんセンターに入院した。見舞に行った。 その12月に大腸からの出血があり、がんセンターで検査を受けた。大きな大腸ポリープが1個見つかり、細胞検査の結果がわかった翌年1月、直ちに入院をすすめられた。 学校は一番忙しい時期でもあるし、考えさせて下さいと言った。診察室の扉を開けてまさに出ようとしたとき、後ろから医師が「まさか8月の夏休みに入院しようなどと考えていないでしょうね、どんなに遅くても3月までですよ」と言った。 ぐずぐずしていたら、数日後病棟の看護婦さんから直接自宅に電話がかかってきて、「明後日ベッドが空きます、入院して下さい、ここで決心しないといつベッドが空くかかわかりませんよ」といわれて始めて入院の決心がついた。 初診の患者に医師が念を押し、看護婦さんが直接自宅まで電話してきて入院を勧める。すごいことだと思った。普通であれば、患者が入院手続きに来なかったらそれまでです。医師にも病院にも何の責任もない。さすが国立がんセンターはすごいと思った。信頼できるかできないかはまさにこういうことである。 入院期間は1995年1月20日から27日まで。 ポリープの直径が10mmと言うのがガン化の一応の目安だそうだ。直径12mmに成長していて手術後の検査では、ガン化してはいなかったものの、際どい状態だったそうである。年に1度は必ず検査を受けるようにといわれた。 しかし小さいポリープは見つかったものの、ほとんど成長しておらず、最近は写真に写ったり写らなかったり。これも減量効果だと思う。つまり食生活が健全になったからポリープもできなくなったのではないかと思う。 振り返ってみれば、あの時友人の見舞に行かなかったら、大腸からの出血を重大な症状だと気づかなかったかもしれない。がんセンターで受診しようなどとは思わなかったかもしれない。医師が「3月までですよ」と釘をさしてくれなかったら、看護婦さんが自宅まで電話をしてくれなかったなら、ズルズルと日が過ぎて、数年後には大腸がんで命を落としていたかもしれない。 日常、一瞬一瞬、右か左かという選択をしながら生きている。あのとき反対の選択をしていたら今頃はどうなっていただろうと思う。たくさんの人との出会い、そのちょっとした話の中に、生命や人生に関わる重大なことに気づくヒントがあるような気がする。 |