カァシャンは?(お母さんは?)

〜三つ子の魂について少しは考えてみたことはあるでしょうか〜

Tue. Jul.02.2002

[ハイサーイ!私の徒然草] 幼児期に一流意識を育てる       

 主として土曜日と日曜日ですが、週2日ほど2歳になる孫娘をあずかる。母親が「出かけてくるからね」というと、後追いもせず、よそのおばちゃんを見送るかのようにバイバイをして、あとはけろっとしている。ところが、薄暗くなって、母親の帰りが遅いと、ぽつりと「カァシャンは?」という。

 我が家では、こどもが小さい間は母親は家にいる主義で、妻は結婚と同時に会社を辞め、娘も同じように専業主婦になった。しかし、長女は仕事をしたいという気持もあるから、講習を受けるために週2日ほどこちらにこどもを預けに来ていた。今の仕事は結婚式の司会だから、仕事は土曜日とか日曜日がほとんどである。こどもを預かると言ってもそんなに長時間ではない。

 仕事といってもいろいろでしょうが、母親が仕事に出れば、我が子に接する時間は少なくなる。個々の集積としての社会全体を考えた場合、その影響はどうだろうか。我が子にいつも親が働く姿が見えていれば、教育上大変にいいことだと思うのです。しかし多くの場合、父親であれ母親であれ、その働く姿を子は目にすることはないのです。学齢に達しない子であれば、親が仕事に出ている間、保育園であれ、祖父母であれ、どこかに預けられています。学齢に達した子でも学校から帰ったときに母親も父親も家にいないというのは如何でしょうか。

 三つ子の魂にとって大切なのは親の愛情だけではないと思うのです。控えめに言っても、学齢に達するまでずっと母親とともに生活した場合と、保育園に預けられたり、おじいちゃん、おばあちゃんに預けられて育った場合とでは、子供の生活経験は全く違うので、全く違った子どもになってしまうのではないかと思うのです。こどもは身の回りの世話をしてもらって衣食足りていればいいというものではないと思うのです。三つ子の魂こそが一番大切なのではないでしょうか。

 乳幼児の時間は、大人の時間の何十倍何百倍という大変な密度で経過している。幼児の時間には一瞬たりとも無駄はない。昼寝の時間以外、起きている間、頭は休むことはない。間断なく大人たちに話しかけてくる。丸ごと相手をしてやることが必要である。一度見たことや聞いたことは、どんな小さな事でも決して忘れない。母親の微妙な心の動きもまるごと吸収する。母親の人格の全てをまるごとコピーするかのように吸収していく。そうでないと皆に追いつけないからです。子に与えられた成育環境固有の、脳神経細胞のネットワークができ上がっていく。見たり聞いたりした内容ばかりではない、母親の心の機微も、その場の雰囲気も全てネットワークの中に記録される。

 成育するにつれて幼稚園、小学校と生活経験の幅を広げていく。その基礎になるのが三つ子の魂だと思うのです。子どもは2歳にもなれば、ほとんど何でもお見通しである。周囲の状況の変化に対しても素早い対応をする。生れて数年のうちにどんな経験を、どれだけ多くの、しかもいい経験をしたかどうかが重要だと思うのです。母親の代わりは父親にも誰にもできない。そこのところを勘違いしてはいけないと思うのです。保育園でいくら高邁な教育理論で保育してもらっても補いはつかない。

 教育の荒廃というが、何故教育がおかしくなったかをよく考えてみるべきである。原因は学校や教師だけにあるのではない。むしろこの腐敗堕落した日本社会にこそ最大の原因がある。民主主義も堕落の極みである。子を人に預け、人間として必要なしつけもろくにせず、学校に預ける。仮にお勉強ができて希望の学校に入ることができて、希望の会社に入社できて、一見何も問題がなさそうに見えても、心の中まではわからないでしょう。しかし、そういう個人の集まりとしての社会は確実に堕落と荒廃が進行している。

 自分の子は人に預けないことです。少なくとも学齢に達するまでは。学齢に達しても子が学校から帰ってくるときには母親は子の視野の範囲にいるべきです。かといって、母親が熱い心で自分自身を生きる術をしらず、子にべったりであれば、あるいは、子に構いすぎて年齢相応の生活経験をさせないようであれば、過ぎたるは及ばざるが如しであり、保育園に預かってもらった方がいい。母原病にしないために。

 子が何を覚えたかではなくて、また単なる遊びばかりでなく、年齢相応以上の豊富な「実」生活の経験こそが精神年齢の高さであり、知能でもあると思うのです。特に母親が知的好奇心旺盛で、感受性が豊かであれば、子もそのように育つに違いない。母親の精神生活が貧弱ならば、無い袖は振れない訳ですから、子の教育をいろいろ意図する以前に、自分の精神生活を豊かにすることが先で、そのためには「熱い心」こそが一番大切だと思うのです。「縮こまり思考」では発展性がないではありませんか。語るべきものをもつべきです。