自立心は助長しわがままは禁止

 ペットの犬猫でも躾けをちゃんとすればチャンとなる。人間だって動物だと言うことを忘れてはいませんか。はれ物に触るように厳しさがないのは躾けじゃない。3才までの躾けを誤れば、臆病な引っ込み思案な人間か、さもなくば手の付けられないわがまま人間に育ってしまう。あとから矯正なんてもっと大変じゃないですか。現代の日本社会を見てください。ここまで崩れてしまえば、今更何とかなると思いますか。


【ハイサーイ!私の徒然草】 幼児期に一流意識を育てる

 子どもは自立心から何でも自分でしたがる。しかし、それをさせてもらえなかったりすると、以後絶対にそのことについては自分でしようという気を起こさなくなる。 大人が子どもに何かを教えて、何かができるようになったなどとということはちっぽけなこと。

 知的好奇心旺盛で意欲的な子に育てば、勉強なんて放っといてもできるようになるもの。これは子どもをどう育てようかという問題じゃない。親自身が知的好奇心旺盛な人か、熱い心を持ち合わせた人か。繊細な神経とおおらかさを兼ね備えた人であるか。子どもの問題じゃない。親自身の問題である。

1、例えば手洗い。手洗いの大切さはすでにしっかりと心に焼き付いているわけだから、以後は、手がきれいになるかならないかは全く問題じゃない。もっと大切なことは、自分でしたがれば、させて、ほめてやり自尊心を高めてやること。そして手洗いが自分で上手になること。手がきれいになることばかりに執着していると躾けを誤る。

2、クツ履き。これまでに自分で履きたいと言ったことはないか。親から手助けをしてもらうことを嫌がったりとか.....。もし、自分で履いたら機を逃さず、心からほめるしかない。押しつけは逆効果。自尊心が傷つくだけである。3才も過ぎ、自我が芽生えたら、もう押しつけではだめだと思う。

 これは一瞬のことで見落としやすいことだけども、自分でしたいと言った時には、手出しをせずに、させて、ほめて、その積み重ねで、自尊心を高めてやる。親が手助けしてやることが必要な場合も多いが、その時も自尊心を傷つけないように、心の余裕と配慮を。

 自我が芽生える以前ならば、子に良いことと悪いことを教えるのに、だらだらと言い聞かせるのは意味がない。メッセージがあいまいになるだけで非教育的で有害無益。簡潔に押しつける。禁止と称賛の使い分け。

 子どもは3歳を通り過ごすともう親や周囲の大人の思いのままにはならない。命令的な、押しつけはきかなくなる。大人に残された道は禁止しかない。わがままは徹底的に禁止するしかない。言うことを聞かなない限り、絶対に子どもの思い通りにさせないようにするしかない。

 わがままならば、親が一言だめといったら絶対にだめ。言葉数は少ない方がいい。言って聞かせるというやり方ではメッセージが明確に伝わらない。それでもわがままを言うようならば、押し入れに入れて、ご免なさいというまで出さないくらいの強硬な姿勢が必要で、躾けは闘いだと思うのです。ところで、何ですか?押し入れに入れるのは虐待?それは親が理不尽な理由で子をたたいたり、押し入れに入れたりすればそうかもしれない。親自身のあり方の問題だと思います。

 家庭の躾けが最大の問題であって、教育関係法規を扱いまわして解決できるような問題じゃない。教育をよくしようというのであれば、社会のものの考え方を変革する必要がある。今までの政治を振り返ってみる時、金まみれのでたらめじゃないですか。政治家ばかりじゃない上から下まででたらめじゃないですか。腐った社会にこそ問題がある。教育だけを何とかしようたって無理です。「教師が悪い」で片づける姿勢にこそ問題がある。少数派とは言え、かろうじて良識が残っている間にこれを何とかしなきゃあ。