三つ子の魂は親の生活そのまま

〜子は、喜び、不安、心配など、親の微妙な心の動きから生活の雰囲気まで、その全てを高速で脳細胞のネットワークにコピーしていく〜


Sun.Mar.25,2007

[ハイサーイ!私の徒然草]幼児期に一流意識を育てる

 言葉も理屈もわからないまま、生活環境は雰囲気として、まるごと、ビデオテープのように子の脳細胞のネットワークに記録され、三つ子の魂になっていく。自我が芽生えるまではあるがままを高速で吸収していく。

 全生活だから親自身が熱い向上心で成長を続ける以外には、いくらその場をとりつくろっても限りがない。親の心の機微も、生活も全て、まるごと吸収していく。親と暮らしたか、人に預けられたかでまるで違った三つ子の魂が形成されていく。

 親がだらだらとした生活をしていれば、子にとってそれが当たり前となり、それ以外の生活は思いもよらない。親が熱い心をもち、めりはりのある生活をしていれば、それが子の生活感覚になる。変化と活気のある生活、出会いの多様性、知的好奇心の多様さ、生活の雰囲気のすべてが子の三つ子の魂を形成していく。

 子どものためにいい音楽を聴かせようなどと考える以前に、親自身がこれまで音楽を心から楽しんできたかどうか、どんな音楽が好きだったか。子どものために何かをしようとする前に、親自身が本当の自分を生きているか。それは子を人に預けてまで働に出るばかりが生きることではなく、子とともにありながらも、家事をしながらも、心が熱い人は何処にいても熱い。

 心が熱くなければ、中身が薄ければ、外に働きに出ても気が紛れるだけであり、家にあれば子に構いすぎ、子どものああしたこうしたばかりで、語るべき話題がなく、外に出ようと家にいようと同じこと。親に熱い心があるかないかが、子の三つ子の魂の形成を決定する。

 将来子が勉強ができるようになってもらいたいなどと、余計なことを考える前に、親自身が知的好奇心でいっぱいのめりはりある生活をしているか。気持は熱いか。ねばならない思考でがんじがらめで本当の自分を生きていなければ、まず自身の内面に関心をもつことである。そのことの方がはるかに教育的である。

 お勉強ができるようにしたければ、子にお勉強のことで余計なことをしないことである。余計なことをすれば期待とは反対にお勉強ができなくなるもの。心配すれば心配した通りになるもの。まず自分が熱い向上心をもつことである。親自身がめりはりある基本的な生活をすることである。お勉強よりそちらの方がはるかに教育的である。

 親自身がきちんとした基本的生活の経験がなければ、親自身が試験勉強的な勉強はしても、薄っぺらな知識は沢山もっていても、内面的な問題に関心がなければ、心の底に熱い向上心が燃えていなければ、親の生活態度や人生観はそのまま子へ、更には孫へとコピーされていく。これは学歴やお勉強ができたかできなかったかとは無関係である。親が心が健全だったかどうかの方が重要な意味を持つ。

 教育を外注すれば、まともな心は育たない。健全な親は自らの手で自分の子を健全に育てるしかない。親が子を放置するとか、子に構いすぎるとか、いずれも過ぎたるは及ばざるが如し。

 親からコピーされた三つ子の魂を少しでも乗り越えるには10年単位の時間が必要である。狭い井戸の外に出られる人は、よほど聡明でエネルギーがあって、熱い向上心をもち、尚且つ、希少な出会いに恵まれた幸運な人である。