言葉を学ぶは自分を見つめる
외국어 배우기는 바로 자기 마음을 관찰하기


Sun.Jul.25.2010

[ハイサーイ!私の徒然草] 韓国語教室/한국어 교실

 会話ができない限りその国の言葉は本当には理解できない。

 よほど単純な内容でない限り、日本語と外国語とは言葉は1対1では対応していない。言葉のニュアンスはその国で暮らして身につけるか、会話教室でネイティブから指導を受ける以外にはない。独学では無理なことである。

 一応文法知識や語彙数もある程度あるという前提でいえば、一つ一つ言葉のニュアンスを身につけていくためにはそれなりの時間が必要になる。

 教室では1週間に何時間かしか授業がなく、しかも大人数であることを考えるならば、お金と時間があれば、指導のこつをしっかり心得た先生の個人レッスンは効率的だと思う。しかし落とし穴もある。本人の熱意と積極性よって大きな差ができる。

 それでも長く熱意が冷めなければ、勉強のコツが段々わかってくる。努力していても目に見えては上達しない。あるとき突然階段をひょいと上ったことに気づく。その前にあきらめてやめてしまえば元も子もない。それから1年というスパンで振り返ってみると確実に上達している。

 なまやさしいことではないということを理解する必要がある。語学の才というけれども必ずしも才能ばかりではない。それはあちこちの教室の体験受講や何かで出会った韓国語講師、彼女たちの努力話を聞いてみることは絶対に必要だと思った。

 多くの生徒が電子辞書か軽い小さな辞書を教室に持ってくる。私は実際にはあまり使わないにもかかわらず、語彙数12万語から13万語の重くて大きな日韓辞書と・韓日辞書と二冊、それに最初から使っていてぼろぼろの小さいけれども文法表示が丁寧な韓日辞書、電子辞書、教科書を持っていく。バッグははちきれそうだから一時リュックで背負っていったこともある。

 ある韓国語講師は、この重い辞書を毎日三冊抱えて大学に通い。家に帰ったら夜中まで、夜もろくろく寝ないほどに4年間勉強したという。そしてある講師は日本語を聞きっぱなしで日に10時間くらい聞いていたという。日本に行きたいばっかしに・・・。そして大学卒業して1年くらいで日本語能力検定試験1級を取ったけれども、それでも日本語は三分の一くらいしか聞き取れなかったという。

 生徒には毎日の仕事もあるし、とてもそんな時間はない。しかし、どうやってネイティブの日本人並みに日本語がわかるようになったかという体験談は絶対に必要です。

 外国語を学ぶというのは、単に言葉を理解するというだけではなくて、相手の微妙な心の動きを読み取ろうとしているし、自分の気持をどう表現したらいいかを一生懸命考えるというのは、自分を見つめるプロセスでもある。そこに言葉を学ぶ面白さがあり、これほど知的で内面的な趣味はない。

 社内では全部英語で話せという会社を取り上げた番組があった。それをきっかけにして熱意が目覚めることもある。しかし、話せない者どうしが片言で英語を使ってコミュニケーションをとるというのは実はこれほど面白くないものはない。

 これで発音・イントネーションに変な癖がついとしまえば治りはしない。ネイティブのお手本で耳からインプットしない限り上達はしない。印刷文字を見ながらいくら練習しても話せるようにはならない。耳から入った記憶と目から入った記憶の収納場所は全く違うということである。