定年退職したらボランティア

Tue.Mar.09.2010

[ハイサーイ!私の徒然草]  

 退職して、3年ほど高校に講師で教えに行っていたけれども、それもやめた。2月頃だったか、自分の世界しかなくなって間もなくのことだった。自治会の組長さんが私に自治会役員の候補者として名前を出していいかと言ってきた。

 今まで、自宅と職場を行ったり来たり。現職の頃だって社会とのつながりがあるかのように見えても、所詮自分の世界でしかない。職場関係のおつきあいとか、学校時代のお友達とのおつきあいとかはあったけれども、地域でのおつきあいはなく、一歩外に出ると知らない人ばかり。お向かいさんとお隣さんくらいしか面識がなかった。

 組長もしたことがなく、いきなり自治会の役員など出来る訳がない。断ろうとした。しかし、日は迫っており、こんな役回りはおいそれと誰でもそう簡単には引き受けない。そのときこの組長さんが「一度引き受けてみませんか、世界が広がりますよ」だった。私はなるほどと思った。その場で承諾した。

 それからというもの、任期中の2年間は自治会の行事で外に出ることが多くなり、公民館が我が家の「離れ」みたいになった。ついでに市の環境推進委員も同時に引き受けて、これは自治会役員の任期が終わってからも引き続き引き受けて、もう6年目になる。町内の方々みんなと顔を合わせる。

 確かに、この役回りをかたくなに断っていたら、今頃は周囲に心安く声をかけることの出来る人もなく、ひたすら自分の仕事と、趣味の世界に埋没していたかもしれない。全くちがった人生を送っていたに違いない。

 今の仕事は市環境推進委員と言えば聞こえはいいが、その仕事の一つとして、ゴミ減量の啓発と町内の不燃物庫の分別指導と分別の悪いまま持ち込まれた不燃物の整理がある。夏の炎天下、寒風の冬、午後から夜まで張り付いての仕事だし、手の汚れる仕事ではあるが、引き受けるだけの価値はある。今では私にこれらの役割を持ってきてくれた方に大変感謝している。

 不燃物の整理の仕事は、その気になってしまえば、不燃ゴミ(資源ゴミ)を見ているうちに世界の資源問題、環境問題、ゴミを捨てにくる人それぞれの生活が見えてくる。きれいに洗ってきちんと分別してもってくる人、ドロドロの液が袋の底からしたたっているのを平気でもってくる人、係不在の隙を見て全く分別しないでこっそり置いて行く人、その人の性格や生活が見えてくる。だから見方によっては、この仕事は面白い。

 人は自分のことばかりしていて幸せかというと幸せであろうはずがない。報酬をもらってする仕事というのは面白いはずがない。自分の時間と労力の一部を地域なり、社会への「奉仕」に使ってこそ意味がある。実費以上の報酬をもらったらおしまいだ。満足感はないだろうと思う。

 定年退職したら、仕事に出る、働きに行かなくてはならない事情があれば別だけども、それはあくまで自分の事情。趣味の世界に埋没するのも自分の世界の話である。贅沢な望みかもしれないけれども、金銭的な報酬ではなくて、気持の報酬の方がはるかにしあわせな気持にしてくれる。無報酬でこその幸せである。

 定年退職した人が自分の世界に引きこもらないためには、町内の仕事なり、その他社会的な意味のあるボランティアの仕事に引っ張り出すことにある。社会とつながっていてこその幸せである。そのタイミングを失して自分の世界に安住してしまうと外の世界に出にくくなる。不幸なことだと思う。私はそう思う。