現代の自己中心は学力競争の果て

Sat.July.03.2010

ハイサーイ!私の徒然草 ブログ版

 あまりにもはっきりしていて多くを語る必要はない。

 しかし、こういう病んだ現代でも、身勝手で自己中心的な人ばかりではないのはなぜか。

 「世間で言う(いわゆる)」学力の高い学校を卒業して、いわゆるいい会社に入って、表向きは恵まれているかに見える。しかし真相は自己中心の塊になってしまっていることが多い。早い時期から塾浸けになっていれば、その危険が多い。「多い」とすべてそうだということとは違う。

   これは表向き恵まれた人ばかりではない。彼らは競争に勝ち抜いてきたというだけのこと。うまくいったか、うまくいかなかったかは関係ない。学力主義に蝕まれれば同じこと。共通しているのは変なところで生真面目なこと。

 では、心を蝕まれなかったのはどういう人か。学力競争に蝕まれないだけの人間的な余裕をもっていた人。逆に塾浸けになることによって人間的な余裕を失う。

 塾の問題とは別に、私立であろうが、公立であろうが、いわゆる進学校というのがまず罪深い。そこにはまってしまった教師も罪深い。学力主義が子どもをだめにしてしまうと気づかない親も罪深い。

 学力主義に汚染され、自己中心になってしまえば、人間的なコミュニケーションがとれなくなる。上っ面だけで済む世界でしか過ごせない。人を見る目のある人からは評価されない。紙の裏表ほどに違う外面(そとづら)と内面(うちづら)が生まれる。人を見る目というのは、外面から内面を読み取る力である。

 上っ面を見て意気投合してもすぐに破綻する。昔、女性が結婚の条件にしたのが三高といった。背が高い、高学歴、高収入。それでうまくいくはずがない。

 ところがその反動というか、反省というか、心、心というようになった。しかし表面的な部分しか見ていない。格好がいいとか、やさしいとか。では、本当にやさしいとはどういうことか。そこまではお見通しではない。

 上っ面だけしか見ていないということでは同じこと。自己中心では真実など見えはしない。

 全国学力テストで県の順位が低かったりでもすれば、さあ大変だと知事はじめ、教育委員会がすぐに対策をとろうとする。すべてがピント外れな対策を。そしてますます教育をゆがめ、社会を狂わせていく。