| [ハイサーイ!私の徒然草] |
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本を沢山読むことはいいことだと思っていた。しかし最近は、それはちょっと違うのではないかと思うようになった。どんな本をどんな読み方をしているか。内面的な悩みが原動力になっているか。分野の広さ。多くは消えても、人生の最後まで故郷のように心に残る本を読んできたか。 「学而不思則罔思而不学則殆」(論語)学びて思わざれば、則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば、則ち殆(あやう)し。 学問をしても、自分から考えることをしなければ、道理をわきまえることはできない。自分で考えるだけで学ぶことをしなければ、独断におちいる。 「迷う者は道を問わず」という故事は、道理のわからない人間ほど賢い人に物事を教えてもらおうとしないものである。 また「迷わぬ者に悟りなし」ともいう。姜尚中氏のいう「悩む力」が弱くなったからか、悩んだとしてもひとりでかかえ込むだけでは抜け出せない。知識や情報は何の助けにもならない。 活字では絶対に大切なことは伝わらない。人に問うしかない。精神的に苦しんでいても助けを求めるという発想がない、術を知らない。それをしなければどんどん泥沼にはまっていく。 「温故知新」「他山の石」「学而」「異文化は姿見」「アイデンティティ」「気位」「ご先祖様」「敬老」などすでに忘れられた言葉が沢山ある。 1945年の敗戦で日本文化が根こそぎにされて、羊頭狗肉のアメリカ民主主義が移植されたときにはじまった。情報化が進むと「亀甲より年の功」は「年の功より亀甲」になり、知識や情報がいつのまにか神様になり、「亀の甲信仰」になった。 現代は「故事」の反対が当たり前になってしまったのではないかという気がする。 一度、情報とか知識とかに対する執着をきれいさっぱり捨てて自由になってみる。無意識のうちに人を軽視し、どれほど有害無益で意味のないものであるかがわかる。こんなものを持ち歩くのは仕事上必要な間だけで十分である。 |