| [ハイサーイ!私の徒然草] |
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何日か前にテレビで「カンブリア宮殿」という番組を見ていたら、夢をもちましょう、大人になったら何になりたいか、という子ども向けのアンケートの男女別の結果が出ていた。 よく、野球の選手になりたい、学校の先生になりたいなど、子どもの頃にはいろいろ夢をもつ。 沢山の夢には実現するものもあるが、もともと眠りから覚めたら消えるのが夢である。 夢が実現した人に、なぜあなたの夢が実現したのかを聞いてみたい。それは他のケースとは違った状況で生まれた強烈な夢だったにちがいない。 幼少時、遅くとも小学校低学年頃までに、何か心に残る強烈な出来事があったはずである。だったら、それは夢と言うべきではない。 きっと、夢を実現するために何かをするというよりは、その焼きついた心の深層の記憶によって、無意識のうちに、その方向に興味がどんどん引かれていく。 その方面で意識的な努力ではなくて、心の奥深くにあるエンジンでどんどん駆り立てられていく。 そうでなくては、何事もなしえない。 しかし、丸ごと思った通りになるとは限らない。その後の状況によって、方向は少しずつずれていくことはあっても、大体その方面に落ち着いていく。 後で、ああ、幼少時のあの時のあの出来事が自分の一生を支配していたのだなあと気づく。その程度はいろいろでも、感動が多い。型破りな一面がある。 幼少時から、ずっと管理されて、お勉強ルートに乗っかってくれば、そのような心のエンジンを逸してしまう。 心のエンジンが準備されていなければ、自分は将来何をしたいのだろうといくら考えても何も思い浮かばない。 いくら自分探しをしても、もともとないものはいくら探しても見つからない。 思いつくのは、漠然とした夢程度のことでしかない。 運良く、それとも運悪く、学校の成績が良ければ、世間で言ういわゆる「いい学校」に入って、目の前の仕事を選択して一生を無事に終えれば幸いと思う。 世の中、とかくいいと思っていたことがよくなくて、不幸だと思っていたことが逆に幸なこともある。 恵まれすぎた人は人の気持がわからない。これは周囲の人々にとっても本人にとってもいいことかどうか。 反対に、当時逆境にあった人と、30年40年振りに会ったとき、感動することが多い。それはよくあることである。 人を成長させるのは一体何かがわかる気がした。 ※ 柳田邦男氏の「はじまりの記憶」という言葉に、私が以前から感じていたことと全く同じことを書いておいでなので、確信が強まった。 |