| ハイサーイ!私の徒然草 | ブログ版 |
|
父が単身九州にやって来て、医者になり、一度は宮城に戻ったものの、再び福岡に戻って来て住み着いてしまったから先祖の地のことは詳しくはわからない。 戸籍簿、あるいは除籍簿の写しによって知ることができた。 父が福岡に定住した時点で一族は石巻市湊本町10番地に住んでいた。それ以前のことはわからないが現時点での私の原点はここにある。 祖母も同じ石巻市出身である。新田次郎の「アラスカ物語」によれば、フランク安田(安田恭輔)の育った地は石巻市門脇だから、その従妹である祖母も大体その辺りだと思う。安田恭輔もこの石巻からアメリカへ渡った。 祖父・直人は当地にチフスが大流行したときに医者として防疫活動に奔走しているうちに感染して亡くなったと聞いている。代々東雲、玄川、直人、正人まではこの地にあったのではないかと思う。 今回の地震・津波で石巻の先祖の地がどういう状況かはテレビのニュースで大方はわかるけれども、一族が住んでいた場所がどうなったかはわからない。本家の寺と墓所は門脇の西光寺だと聞いている。 つい3月初め、横浜の義兄夫婦から4月半ば頃に東北旅行をしないかと誘われた。最初宮城県と聞いたから、宮城県なら私は物見遊山よりも仙台市、石巻市、登米市、栗原市、美里町など行きたいところが山ほどあるから、乗り気だった。直系先祖の除籍簿の写しも収集したかった。申し込み用紙も準備していた。 登米市は父が大学を卒業して最初に勤務したのが登米町立病院だった。登米市寺池桜小路62番地で兄は出生して登米神社で初宮参りをしている。 栗原市は従姉の子が医師として勤務していた地であり、美里町はその転勤先である。 しかしよく聞いてみると青森地方に行きたいらしかった。私はパック旅行はあまり好きではないから、青森なら行かないことにした。 地震・津波が起きたのはその矢先きだった。もちろん義兄夫婦の青森旅行もキャンセルすることになった。 仙台市は若林区に父のすぐ上の兄が長年住んでいたところであり、心配した。しかし、仙台駅近くだったので水害は免れたものと思う。 叔父の子4人のうち3人の一族が仙台市内、宮城野区、泉区に居住し、祖母の兄妹の孫に当たる方の一族が宮城野区在住する。 私にとっては宮城県は原点である。とりあえず最初は義援金も仙台市と石巻市に故郷義援金としたいと思っている。遠隔の地にあってはそのくらいしかできない。 |