現代は刹那的文化の時代

Sat.Nov.19.2011
ハイサーイ!私の徒然草


 私は17年前にパソコンをはじめて以来、ワープロソフトはERGOSOFT(エルゴソフト)社のEGWORD(イージーワード)を使ってきた。後にウインドウズ版も発売されたけれども、元々Mac専用のソフトだった。

 エルゴソフト社のEGWORDは実際に使ってきた人でないとわからないと思うけれども、表作成でもいわゆるワードではできない表ができるし、普通の文書でもレイアウトが自由自在である。両方使ってみたけれども、いまだにWordは不自由で使う気になれない。

 ただ、ワードは多くの人に使われているから、アプリケーションだけはインストールしておかないと、私以外の人から受け取った文書が読めない。私はワードで文書を作るのは私以外の人に読んでもらわなくては困るときである。こういう文書のやり取り程度であれば、レイアウトなど気にする必要がない場合が多い。

 自分のために文書を作るときはほとんどEGワードを使う。それを私以外の人に読んでもらう必要がある場合には、ワードにコピーして送るか、PDF文書に変換して渡す。

 ところがこのEGwordが発売を終了してしまった。やがて今のマックのOSをバージョンアップしなくてはならない日が来る。そのときはきっとこのEGWORDが使えなくなる。文書作成も、読み取りもできなくなる。

 それで、私自身の文書は完成して、以後変更する必要がなくなった時点でPDF形式に変換して保存する。PDF形式はワードよりも何よりも将来一番長続きするのではないかと思うからです。

 そんなことをいろいろ考えていると、デジタル文書がいかに信頼性がないかを痛感します。何年先まで情報が読めるのかわからない。コンピュータに蓄積した情報がいつまで有効か。DVD,CD,それにハードディスクだって内容の寿命は何年くらいあるのか。

 印刷物ならばいいと思うけれども、インクジェットプリンターの印刷インクは、最近は顔料の黒インクを使うようになったけれども、基本は有機化合物である染料ですから、いつ消えるかわからない。

 写真だって昔は無機物である「銀」を使ったモノクロ写真だったが、現在は色素は「有機化合物」だから紫外線でやがて消える。

 昔だったら、遺跡から「木簡」が出てきたり、和紙に毛筆で書かれた文書が出てきたりするけれども、それに、進歩といっていいかどうか疑わしいけれども、技術が進歩するにつれてハードが変わり、ソフトが変わり、情報が消える。これから100年後、1000年後の人類が遺跡を掘り返しても何の情報も残っていなかったということにもなりかねない。

 現代は今よければいいという刹那的文化の時代だといえる。どんなに科学技術が進んだとしても、科学技術が高度になればなるほど、すべてが次々に泡沫のごとく消えていく。人の心も例外ではない。