韓国映画「鯨とり」

Mon.Oct.24.2008

ハイサーイ!私の徒然草 小春日和の韓国語のお勉強

    日本に入ってきたドラマや映画に限っていえば、「韓国ドラマ」の多くは必ずしも韓国的ではない。一般受けのするドラマが氾濫しすぎてはいないだろうか。

   内容的にはワンパターンの繰り返しではあるが、「テジャングム(大長今)」(日本名:チャングムの誓い)は作者のメッセージがはっきりしているから繰り返し見ても飽きない。

   昔の韓国映画は「娯楽的」というよりは「真剣もの」「伝統的韓国文化をとりあげたもの」が多かったように思う。現代だって、映画には南北問題をかかえてシリアスな作品も多いはずである。

   1984年の映画「鯨とり」(고래 사냥)も「真剣もの」のひとつではあるが、コミカルな要素もあるからおもしろい。純粋で、自信のない、悩める大学生ビョンテが偶然ひとりの乞食(거지・コジ)ミヌに出会った。家族も学校も放り出して、この乞食の弟子になる。そして成長していく物語である。

   「鯨とり」の「鯨」とは何か。別に彼らが鯨漁に出かける訳ではない。韓国で「鯨(고래)」は動物の鯨の他に「大酒飲み」という意味がある。しかし、これはこのドラマには直接関係はなさそうである。何か人生にとって大きなものを捕まえにいくという意味に違いない。

   主人公はこの大学生には違いないが、心豊かで魅力的な乞食(거지)が主役のようでもある。この乞食の年頃はよくわからない。20代でも50代でもない。30代にも40代にも見える。

   コートの内側にスプーンやコップなど生活必需品をぶら下げているだけでお金もなければ家もない。全国八道(日本で言えば全国都道府県)が我が家だという。物乞いは無欲だから罪を犯さない。1食も欠かさないのが物乞いの鉄則だという。人間的魅力と演技力と物乞い節で生きていく上で何ひとつ心配はない。おおらかである。

   この物乞いが街の通りで昔の大学の先生とすれ違った。先生は彼に声をかけたが、彼はその演技力でごまかす。先生は人違いだったと謝る。しかし昔の弟子によく似ているなあとつぶやきながら通り過ぎてゆく。この乞食ミヌは優秀な学生だったに違いない。それがなぜ。

   現代の物やお金中心の社会は競争社会である。教育も学力競争になる。それに加えて社会の情報化が進む。肥大化した知識や情報を詰め込んだ学歴社会になる。しかしこういう競争に疑問をもたずに従う限り、勝ち抜いてきた人もそうでない人もひ弱で脆弱である。人生の真実など何ひとつ見えてはしない。頭の中味はへちまのタワシである。

   わかっていても社会の大きな流れからはそう簡単には抜けられない。しかしこういう社会に疑いをもつこともなく適応することばかり考えてきた人々と、疑問に真正面から向き合って悩み続けてきた人とは大違いである。この作品の意味するところは、社会の多くの人々が当たり前と思っている固定観念も学歴や財産も家族も何もかもを捨てて裸になってはじめて真実が見えてくるということだと思う。