橋下市長、批判的職員に反省文

Sat.Dec.17,2011

[ハイサーイ!私の徒然草]

 12月16日の毎日新聞によれば、橋下氏が圧勝した市長選を受けて、テレビの取材に応じた市職員が「民意という単語が僕の(認識)とは違う」「向こうが言っている二重行政が分からない」とコメントしたことに対して、その職員に対して反省文を提出させ、市は「忠誠」をつくすよう通達を出したというもの。

 それに対して、

 新藤宗幸・元千葉大教授(行政学)は、

 公務員も、就業時間外や職場の外では自由な立場・人格が尊重されるというのが近代の常識。「犯人捜し」をして反省文を出させるというのは越権行為で、橋下氏自身が批判する古い体質のやり方だ。言論統制に他ならず、職員が自由な意見を言えない萎縮した組織になってしまう。職員は公務員であると同時に一市民でもある。橋下氏は、自分を批判する「民意」にも誠実に耳を傾けるべきだ。

 と、コメントなさっている。

 「公務員も、就業時間外や職場の外では自由な立場・人格が尊重される」というのは確かにそのとおりである。

 しかし、「言論統制に他ならず、」については、この記事を読む限り、橋下市長は特に言論を統制しているとは思えない。

 活字になった文章を読むだけでは、話し言葉とは違って必ずしも真意はわからない。逆の解釈が出てきたり、微妙な受け取り方の違いが出てくることは仕方がないが、

 市職員の「民意という単語が僕の(認識)とは違う」「向こうが言っている二重行政が分からない」を単に1個人の感想を率直に述べただけのものか、

 市長の職務命令に従わないぞという意思表示だったのかどうか。

 これまでの大阪市役所の職場の空気がどうだったか。発言した職員がこれまでどういう勤務の仕方をしてきかとか、どういう考え方の人かを知らなくては、新聞を読んだだけでは真意はわからない。

 大阪市民の民意といっても賛成もあれば反対もある。しかし、橋下市長はその総和としての民意を背負って市長になった。

 橋下市長は民意に応えなくてはならない。そのためには、職員は意見を述べたり、批判はしてもいいが、適法な職務命令には従う義務がある。

 たしかに個々の大阪市職員の考え方も民意の一部にはちがいない。いろいろ意見を言うのは正しいけれども、職務上は自分とは考えが違うと言うだけで、市政の根幹にかかわるような適法な職務命令に従わないということが許されるわけがない。

 したがって「橋下氏は、自分を批判する「民意」にも誠実に耳を傾けるべきだ」という新藤教授の批判はあたらないと私は思う。

 市職員の「民意という単語が僕の(認識)とは違う」「向こうが言っている二重行政が分からない」という発言の背後に「橋下市長に対する不満」がくすぶっているとすれば、放置すればいずれ市政が円滑に行かなくなる原因となる。最初にはっきりさせておくべきであるし、それは言論を封殺しているわけではないと思う。

 親方日の丸の戦後派公務員の悪弊は正していかなくてはならない。

◇統治の面で理解できるという山中俊之・関西学院大大学院教授(人材開発)の話 

 カメラを向けられて、組織のトップへの批判と受け止められかねないコメントをするのは民間では考えられない。国でも地方でも、役人は選挙で選ばれた閣僚や首長を軽視しがちだ。解雇や降格がほとんどない公務員特有の体質だろう。内部では活発に意見を出すべきだが、対外的に組織批判をすべきではない。反省文を書かせるのも、ガバナンス(統治)の面では理解できる。

 私はこの山中先生の考えに近い。新藤先生の考え方は、まさに戦後派的な甘さを感じる。今の政治家のほとんどが戦後派症候群である。その現実にあって橋下徹市長は希少な人材だと思う。