| 最初が肝心。 |
| 【ハイサーイ!私の徒然草】 |
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教育に知識や情報は害あって益なし。物知りは決していいことではない。理屈も有害無益。何の役にも立ちはしない。大間違いをするだけである。 安っぽい教育書はよく見かけるけれども、教育界に教育学者の顔が全く見えない。今の世の中の歪みは教育学で何とかなる状況ではなくなっている。酷評すれば知識としての教育学など何の役にも立たない。教育評論家というのが一番嫌いである。理屈では何とでも言えるからである。教育まで競争原理に呑み込まれてしまっているから教育学なんて出番がない。 むしろ精神身体医学や良心的な精神医学の方がより重要になっている。それから哲学。一体、「本当の学力とは?」、「本当の勉強とは?」と自問自答したことがあるのだろうか。 子の勉強に口出ししないというのは最初が肝心。ましてや祖父母が孫の勉強の心配をする必要などは全くない。それより祖父母の役割はひとえに孫を守ることにある。両親の人間関係をよくすることの方が子のためである。 両親は互いに子の教育のチェック機能を果たさなくてはいけない。片方に任せ切りはいけない。周囲の大人が精神的に大人になることである。 私たちはよく喧嘩もしたが、子の教育をめぐって、そういうことはしない方がいいとか、した方がいいとかが原因であって、お金の問題はいつも夫婦阿吽の呼吸だったから、お金の問題で喧嘩したことは一度もない。 祖父母の所に子を連れて行く意味は、「親だけで子が育つとは思っていない。親と祖父母の考え方が違うことに意味がある」という考えは正しい。ただ私たちが母に1度だけ苦情を言ったことはある。子の言いなりにお小遣いを与えないでほしいと。それ以外は祖父母を完全に信頼して孫を預けてきた。 庭木には肥料は必要だが、特に庭木を移植したときなどは下手に肥料を与えすぎると枯らしてしまう。むしろ水以外は与えない方が間違いがないという。 例えば、ノーベル賞を受賞した方々の子ども時代の話を聞けば参考になる。その他にもいい話はいくらでも聞くことはできる。高齢者の話に耳を傾けることは大切である。 「篤姫」「坂本龍馬伝」「坂の上の雲」をどんな気持で見ているのだろうか。現代人が如何に小粒になったか、それはなぜか。身近な問題として考えなくては意味がない。 |