枠物箱物場当たり教育改革

   思いつきの絆創膏貼り教育改革に未来はない。


Sun.Jan.15, 2007(原文)
Tue.July.23, 2009(更新)

【ハイサーイ!私の徒然草】

   高校の物理教師として赴任した時は理科教育振興に国が力を入れ、理科教育手当が給与に10%上積みされた。福岡に転勤して農業土木(測量)の教師になったら、産業教育振興ということで給与の上積みをもらい、その後国の関心は理科教育振興から視聴覚教育振興に移った。

   私は転勤早々の普通高校で視聴覚教育担当になり視聴覚棟の建築を一手に任された。視聴覚教育振興では給料の上積みはなかった。一番働いたのに。給与は減っても物理の教師に戻りたかった。

   理科教育や産業教育の振興には、担当教科の教員の給与上積みだけではなくて、すべての学校に整備しなくてはならない教材一覧があって、充足率何%というのがあって、何年かをかけてすべてを充足しなくてはならなかった。

   光の回折干渉、光の色の波長を計算したり、ウイルソンの霧箱で放射線の軌跡を見たり、エックス線を手を透過させて骨を見せたり、おかげで理科はおもしろい実験ができた。多くは当時アメリカの「PSSC物理」に出てくる実験器具が多かった。当時の理科教材屋さんは大変なビジネスチャンスだったと思う。

   視聴覚教育振興では、教師の給与上積みはなかったが、全国すべての学校に視聴覚教室、あるいは視聴覚教育別棟を作らせた。これに要した国家予算は大きかったと思う。一校当たりの箱物だけで、うちの場合いくらで落札したか知らないが、億単位ですから。

   その代わり箱物だけ作らせてあと予算をくれなかったですね。あとどうしてくれると私は怒った。県なり学校なりで何とかしろという。振り返ってみても、ほとんどがPTA予算(※後援会予算)および、同窓会からの寄付で中の設備・機器類はそろえたと記憶している。

   やがて視聴覚教育振興の熱が冷めるとコンピュータをすべての学校に整備し教育ネットなどができた。次から次に産業界のビジネスチャンスは尽きることがない。

   教育を経済発展のための人材育成と産業界のビジネスチャンスの場にしてきたのではないかという気がする。人を人として育てる視点はない。物理の教科書は過密になり難しくなり、とてもすべての高校生が興味が持てるとか、理解できるようなレベルではなくなった。ごく一握りの高校生向けになった。

   理科離れがすすむ。それで同じ出版社の同じ単位数の教科書にやさしい内容の教科書と難しい教科書の2種類が作られた。2単位のものと4単位のものが出た。内容を二つに分割した。とにかく困難に出会うと付け焼き刃で学習指導要領改訂を重ねていった。

   視聴覚教育振興時代は大変なお金の無駄遣いをしたと思いますね。例えばVTR。当時は家庭にも普及していなかった。オープンリールのVTRがあった。次にあれは何と言ったか、とにかく大きなカセットテープを使うもの。間もなくべータマックスとVHSという小型カセットテープ式のVTRが現れた。やがてベータマツクスがなくなってVHSになった。

   それが短期間にころころと変わっていくから、最新式を高いお金を払って買っても2〜3年のうちにまた買い替えなくてはならない。年数が経っていないから廃棄処分にもできない。埃をかぶった視聴覚機器があちこちにあったという現実である。ものに振り回されてお金を無駄遣いした。

   16ミリ映写機、8ミリ映写機・カメラの時代はすぐに終わった。視聴覚室の天井からいくつもつり下げられたテレビモニターの時代は終り、プロジェクターで大写しの時代になった。こんなに物の儚さと資本主義の無駄とを感じたことはない。政界財界のいいようにされてきた気もする。人間としてどうあるべきかという教育は念頭になかったことは確かである。

   大臣が変われば教育制度を付け焼き刃で変える。節操もなにない。 愛国心教育、教育基本法改正、教員免許法改正、教員の研修による免許更新制度などいろいろ思いつきでやってくれるけれども、法律を書き換えれば、制度を改めれば、教育が再生すると考えるのは見当違いである。これは箱物に対して「枠物」であり、箱物と枠物ばかり扱い回して、人間の内面の問題にはまるで関心がない。


※ 昔からPTA予算と言ってきたのに、いつからか後援会予算になった。これは県や国から出る予算では学校が回らず、多くの学校がPTAに頼らざるを得なかった。ところが「保護者の負担軽減」の世論が厳しくなり、「後援会費」になった。Tが加わらなくなっただけで、実質は何も変わってはいない。