何を今さら脱ゆとり

   中山成彬文部科学大臣は一体何を考えているのか。ころころころころ変わる猫の目教育。こういう風だから現場は迷走する。


Sat.Dec,18,2004(原文)
Sat.June,20,2009(更新)

【ハイサーイ!私の徒然草】

   中○○○文部科学大臣は、土曜日に授業するかしないかは現場の裁量に任せるというが、一体何を考えているのか。ころころころころ変わる猫の目教育。こういう風だから現場は迷走する。

   いまさら大臣自らが学力低下が授業時間数の減少が原因だというのか。ゆとり教育は詰め込み教育ではなくて本当の学力を高めるためにはじめられたものではなかったのか。授業時間数減と学力の問題も週休2日にすることもすべて検討し尽くした結果ではなかったのか。

   文科大臣すらその趣旨を全く理解していないのだから、ゆとり教育の趣旨が現場にも一般にも理解されないはずだ。走りだした以上ゆとり教育がうまくいくようにするのが先ではないか。いかにこの国の教育行政が場当たり的かということである。

   国際比較において日本の子ども達の学力が低下したというが、ここで言う学力とは学力試験で判定された結果であって、上から下まで腐りきった日本社会の現状を見れば、学力試験どころか学力試験では判定できない本当の学力はどうしようもないほど低下していると考えた方がいい。

   政界・官界・財界はいうまでもなく、社会の腐敗を放置したまま、単に学力試験の成績を高めようとしても無理である。開発途上国の子どもたちのたくましさは、試験の点数こそが学力だと疑いもせず、学力競争に明け暮れたひ弱な日本の秀才など物の数ではない。

   私は中学に講師で教えに行った。時間数を減らして土曜日を休みにしただけではない。総合学習の時間もできたし、中学校の理科の教科書だってすべて実験・観察を中心にして考えさせる形になっている。理科の教科書はまるで絵本みたいだった。

   「ゆとり教育」の趣旨はみずから考えさせることにある。それには気持にゆとりが必要と同時に考える素地がなくてはならない。教師も親も社会も子どもたちも、頭の切り替えができなくてはゆとり教育は定着しない。

   ところが現場にはこれで高校入試に対応できるのだろうかという不安はあった。知識面で抜かりがないように業者が作った教材で宿題を出して補う。そんな回りくどいことをするくらいなら最初から従来通り結論を教えた方が早い。塾に通った方が早い。それではゆとり教育は定着しない。

   それに加えて評価方法も相対評価から絶対評価になった。絶対評価というのはそう簡単にはいかない。試験の点数だけではなくて実験、観察、課題などの評価を加えて、さらに観点別評価が加わった。

   中学理科の観点別評価の観点には4項目あって最後に総合評価を出す。⑴ 自然事象への関心・意欲・態度。⑵ 科学的な思考。⑶ 観察・実験の技術と表現。⑷ 自然事象についての知識と理解。⑸ 総合評価。

   生徒1人ひとりについて、先ず各項目を点数で評価する。それからA,B、Cにする。普通であればB、特に優れていればA、やや劣っていればCとなるが、一体こんな記号で表して何の意味があるのか。どう優れているか、どう劣っているのかを記述しなくては評価にならない。それをせかせかと綱渡り的な状況の中でしなくてならない。

   不公平にならないように評価基準がある。しかし評価基準をどんなにこと細かく定めても、評価基準に当てはめて集計した数値など無意味である。想像以上のエネルギーと時間を浪費する。本当の学力は評価基準の網にはかからない。

   何かを教えて、試験をして、点数でその結果が見えれば安心する。しかしテストで測定できるものは高が知れている。物事の本質的なことは教えて教えられるものではない。一斉授業や知識や情報からは伝わらない。

   土曜日に授業するかしないか「現場の裁量」という方針転換は、国がスタートさせたばかりのゆとり教育を否定するに等しい。日本の教育が、大臣が変わるたびに、ころころころころ変わる一貫性のなさこそが問題である。それだったら最初から教育を扱いまわすべきではない。