| 【ハイサーイ!私の徒然草】 |
|
心を傷つける心理的児童虐待は外見ではわかりにくい。小学生が自殺したりすると、子どもにはそういう兆候はなかったとか、両親は子どもをかわいがっていたとか、原因がわからない。などというコメントがでる。 しかし、原因はあるし、子どもをよく観察すればその兆候は必ずある。漠然と、何のために自分は生きているのだろうと感じていたに違いない。それはなぜかを考えてみればわかるはず。好奇心のない子がいるはずがない。本来子どもは好奇心の塊のはずである。もしそうでないとしたら、それはなぜか。 もし、親が原因でなく、学校でのいじめが原因ならば、学校なんて生命をかけてまでいくところではない。 それから、素質はいいはずなのに、成績が悪いというような場合も、どこかで勉強のスイッチがオフになってしまったからである。子どもは自分の力でどんどん成長していくものである。親や祖父母は子どものお勉強について余計な事をしないことである。 両親が相互にチェック機能を果たしていなければ、よくないことにストップをかけるのが祖父母である。それを余計な干渉だと言うのは心得違いである。子どもの人権の問題である。現代の核家族では両親が子を囲い込んで育てる傾向がある。その独善性が非常に危険である。子はハウツーでは育たない。 テレビのニュースで見るように、母親が子を虐待していても父親は傍観するだけで、止めなかった。またその逆もある。父親が子の教育を母親任せにしているなどというのは最悪である。それではチェック機能が果たせない。 現代は情報時代だから物知りで、理屈は言うけれども、精神年齢は13歳止まりの時代である。40になっても50になっても大人になりきれず、一生反抗期が続く。親ときちんと話ができない間は子どもである。 私の長男は「自分の子を私たち両親だけで育てられるとは思っていない」と言った。そして毎週自分の子を私たちに預けにくる。私たちに完全に預けて帰る。「多様な考え方に触れることに意味がある」という。 長男は教職にあり、私も長く教職にあった。学力とは何か、本当のお勉強とは何かを考え続けたきた部類の教師だから、学力競争からは距離を置いてきた。していいことかいけないことかは、沢山の子どもたちとその親を見てきているからこそわかる。 お勉強とはしかめっ面をしてするものではない。楽しいものであり、はじめたらどこまでいってもやめられないものである。教育知識で子を育照られると思ったら大きな誤りを犯す。経験を伴わない教育知識は有害である。 一般的に言って、本当のお勉強をしてこなかった親に限って子にお勉強を強要する。よくなるはずがない。本当のお勉強とは何か、本当の学力とは何かと考え続けてきた親ならば、子のお勉強に干渉しないはずである。別のアプローチのしかたがあるはずである。 両親ともちゃんとそこを理解していなくてはならない。父親がわかっていても、母親が余計な事をすれば同じことである。熱心さが心理的虐待をしている事がある。父親がそれに気づかず、傍観していれば最悪である。父親としての役割を果たしていないことになる。逆もまたそうである。 親自身が大人になり切れていないことに原因がある。 私などは、学校の先生からは一度だけお灸を据えられたことはあるが、人生において親からは一度も「勉強しなさい」と言われた事はない。うまくいった人たちの子ども時代の話を聞けば、やはり間違いなくそういう。 最近のように、ハウス栽培のような子育てをされて、塾付けになって、それで仮にいい学校に入り、いい会社に就職して、一見うまくいっているようであっても、決してうまくいってはいない。人間的な重大な欠陥は外からは見えにくい。うまくいかなくなるのはその後である。第一、大人になり切れていないから人間関係がうまくいかない。あたたかい人間関係ができない。うらやむことはない。 |