| 【ハイサーイ!私の徒然草】 |
|
最近、政府が教育改革、教育改革いうものだから、テレビでもゆとり教育に賛成ですか、反対ですかと町の人にインタビューをする。その中で「先生達は楽になっていいでしょうけど…」という声を歯がゆい思いで見ていた。 私は中学校に理科の講師で教えに行ったことがある。中学校1年生の理科の教科書は絵本のようだった。知識を教えるというよりも、実験させたり観察させたりして、考えさせて、結論を発見させる。結論が書いてないから、実験の結果や観察の意味を理解しないままの子どもたちがいはしないかと心配しなくてはならなかった。 実験観察中心だから理科教師は大変なんです。翌日3クラス授業があるとすれば、120人分のタンポポを集めなくてはいけない。この町中でどこにタンポポがありますか。あり場所を探すことからしなくてはならない。 顕微鏡で微生物の観察をさせるときには汚い水を探さなくてはいけない。今では下水道完備で昔のようなドロドロの下水マスなどありはしない。池だってフェンスが巡らされている。水草ひとつ集めるのにひと苦労。 それに学校は忙しい。生徒が帰るのは早い日で3時半、遅い日は4時半。給食の時間が長くて、目を離す人の分まで食べる子がいる。給食の準備、後片付け、それが終わると昼休み。いじめがないか校内巡回がはじまる。授業と授業の空き時間はあまりないですね。 勤務時間中には時間が取れないから会議はほとんどが始まりは5時すぎで、早くて7時半遅いと8時ころまで続く。結論が出なければ明日しますか、明後日しますかだから個人生活の予定などできはしない。 地域から電話が入る。どこそこの近隣公園に落書きがある。車に分乗して落書き消し。道具もそろっている。遊具の落書きをサンドペーパーで延々とごしごしごしごし削る。コンクリートの大きなカペのペイントは消せないからペンキを全面上塗りする。 高校ならば理科助手がいるから実験の準備や後片付けは私がする必要はなかった。しかし中学は全部私がしなくてはならない。とにかく時間がない。綱渡りの日々だった。植物採集などは日没までの数時間が貴重なのに会議でつぶされたり、落書き消しにかり出されたのではたまらない。 何故私達がこんなことまでしなくてはならないのか。地区の自治会で何とかしろと思うが、長年の習慣でそうもいかないらしい。それに夜はPTAの会合、外部団体の学習会、とにかく時間がない。肝心な仕事は綱渡り状態。そんな風だから、勤務時間中はほとんど自分の仕事ができない。家でできる仕事は家に帰ってから夜遅くまでして、朝は毎日1時間早く出勤していた。 忙しいのはここまで書いたことばかりではなくてもっとある。ゆとり教育という新しい考え方で教えなくてはならない。教え漏れはないか、高校受験で不都合が生じないか、小さな既成の復習プリントを宿題として出す。添削して次の時間に返す。 授業時間は減らしたかもしれないが、総合学習だとか、観点別評価だとか、絶対評価だとか・・・新しいことが付け加わっているから教師は多忙になった。 観点別評価だって、「こんなつかみ所のないものをこのせかせかと時間に追われる中で、いったいどうやって評価するの!」「こんなA、B、Cで評価して何の意味があるの!」という苛立ちがあった。 相対評価から絶対評価に変わったけれども、理屈はごもっともだが、これがそう簡単ではない。それやこれやでゆとりができるどころか、頭をかかえ込まなくてはならない仕事ばかり増やしてくれた。意味があれば達成感もあるのだが。 若い先生は別として、中学校の先生にパソコンを自在に使いこなせる方が少ないのにはびっくりした。覚える時間がない。成績出しでも文書でも教材でも手作業でなさる。私が入力するのを見て「えっ、ブラインドタッチ!」と隣の先生が目を見張った。 この中学校の職員室は夜の8時頃でも昼間のような活気があった。母親教師もこの時間まで学校にいるから、20歳代の母親教師にたずねた。「他の人たちは子どもさんはどうしているの?」「保育園に預けているのは私だけで他の人はみなおじいちゃんおばあちゃんに預けている」と言うことだった。 給湯室にお茶を飲みに入ると、できることなら学校を辞めたいが、やめるにやめられないという悲鳴が聞こえた。皆さん疲れ果てていました。先生たちは楽になっていいでしょうけどなどという状況ではなかった。 あれもこれもとふくらませずに、本当に大切なことに厳しく絞ってまとめあげれば時間数はそんなに必要ないと思うのですが。本当に大切なことをゆっくり時間をかけて教える。急がば回れ。内容をふくらませるのは簡単だが、絞リ込む方がより高い見識が必要なのではないか。 大臣が変わるたびに思いつきのように教育をころころころころ扱い回すのはいい加減にしてもらいたいものです。 |