言葉に遊び心がない現代人



Sun. Mar.20.2011

[ハイサーイ!私の徒然草]

 昔の日本人、つまり今の高齢の方々にちょっとした心遣いをすると言葉を尽くして礼をおっしゃる。

 「駄弁・多弁」と「言葉を尽くす」こととは同じではない。言葉を尽くすというのは思いを確かに伝えたいという誠意がある。

 駄弁は物や情報や、お金や、ミーハーな話題で盛り上がり、人の話など聞いてはいない。

 携帯だってコンピュータだって何だって、私は「物」の話題で盛り上がるのはきらいである。物は物でしかない

 内面を見つめることがなく物や物事の表面的なことにばかりに興味が走るのも嫌いである。

 人を気遣うことがなく、言葉足らずというのも、高齢者の前での多弁・駄弁もきらいである。

 情報や知識へちまのたわし。物知りも大嫌いである。

 駄弁は弄しても言葉に遊び心(ちゃめっ気)がない、言葉の面白さを解さない。

 すぐに腹を立てるから冗談も言えない。すべて悪意に受け取る。まじめな話しかできない。

 婉曲表現ができず、理解もせず、はっきり言われなくても状況を察するということがない。

 ストレートに言わなきゃわからない。ストレートに言えば腹を立てる。

 年長者に対しても、それとなく意思を伝えるというスキルがない。目上に対して控えめな表現ができない。

 言葉を選ぶということがない。これが現代人の語彙の貧弱、心の貧弱。

 丁寧語がやっとこさ。敬語、謙譲語に至っては心がないからマニュアルでしか話せない。

 これは戦後日本人が失ったもののひとつ。アメリカ民主主義がこの日本をだめにしてしまった。

 民主主義は、所詮、堕落と腐敗、民主主義を大義名分にして戦争をビジネスにする羊頭狗肉。