言葉の間合い

〜いくら言葉を尽しても、言葉の鎖からは心は伝わらない。しかし言葉の「ま」が心を語る。「ま」のない話は間抜けである〜

Sat. Oct.18.2003
Wed.Mar.24.2009

[ハイサーイ!私の徒然草]

 数日前、テレビのニュースの中で、北朝鮮から帰国した曽我ひとみさんが「2度目の秋」という手記を読む姿があった。以前から気がついていたのだが、彼女の話は心に染(し)みる。

「日本に帰ってもう2度目の秋。でも今年の秋は嫌いです。寂しすぎます。もう1人は嫌です」という文章を目で追うだけなら軽くすっと通り過ぎてしまう。普通に音読しても同じことである。

 しかし彼女が原稿を前にして読むとなぜこんなにも心を打つのだろうか。拉致被害を受けた本人の心から出る言葉だから当然ではあるが、そればかりではない。その秘密は、立板に水ではない、訥々とした、急がない言葉と、言葉と言葉の「間」(ま)にある。

 日本に帰ってきてもう2度目...といって、しばらく間がある。私は次ぎにどんな言葉が出てくるのかなという気持で待つ。待ちきれなくなりかけたころに次の、でも今年の秋は嫌いです....という言葉がでてくる。次の言葉を待つ聞き手の気持がぎりぎりになったころ、次の言葉がでてくる。実に間がいい。この間の取り方は天性のものにちがいない。曽我ひとみさんは詩人である。