角を矯めて教育をつぶす

Wed.May 18,2001(原文)
Sun.July.05,2009(更新)

[ハイサーイ!私の徒然草]

    1963年に佐賀県で教職につき、1969年に福岡県に転勤した。年々教師に対する管理が厳しくなり、どれほど無駄なエネルギーを消耗してきたことか。

    佐賀県時代は気持がゆったりとしていた。生徒とゆっくりと話ができた。しかし福岡では生徒とゆっくり話をする時間がない。ゆっくりものを考える時間がない。

    生徒が職員室に来ても目当ての教師はいない。教師は昼休みにゆっくり食事をする時間もない。教科で話し合いたいことがあってもなかなか都合がつかない。佐賀時代には考えられないことだった。

    「学校の先生は夏休みや冬休みがあっていいですね」とよくいわれる。少なくとも福岡県の学校では教師に夏休みや冬休みなどありはしない。特に生徒の春休み期間中は1年で1番忙しい時期である。確定申告に行くための半日の有給休暇すら取りにくい時期である。

    管理職を目指している教師は実績を作らなくてはならない。いろいろな仕事を増やしてくれる。しかし今までの仕事を削るということがない。仕事は増える一方である。

    学校も週休二日制ではあるが、試行期間として、土曜日は休みにせず、「指定休暇」といって春・夏・冬の休暇中にまとめて休む。その他、盆と正月の特別休暇と、条例で定められた2〜3日の夏休みがある。それ以外は自分の有給休暇(年休)で休む。生徒の長期休暇中に教師が自由にできたのは昔の話である。

    夏休み中は課外授業、部活その他の行事、研修会、出張などがある。授業は休みだから特に仕事のない日もある。昔なら学校に来なくてもよかった。今では仕事があってもなくても定刻に出勤して定刻に退勤する。

    学校に来れば広い職員室に冷房や暖房も照明も一日中つけっぱなしである。福岡県でも教員の給与を何%か削減しなければいけないほど財政がひっ迫している中で、事務長は経費節減に奔走している。

    平素はゆっくり研修する時間がない。生徒の夏休みや冬休み期間中くらいゆっくり研修したい。図書館や書店にも行きたい。どこにいるかわからないでは不都合だから動態表はわかる。

    県は校外での研修を認めないとはいってはいないが、現場の管理職が校外研修を認めない学校もある。認める学校でも、春休み・夏休み・冬休みの1週間前までに「動態表」だけではなくて、生徒の「夏休みの過ごし方」のような長期休暇中の研修計画書を提出して管理職の承認を受ける。

    管理職は「校外研修の内容」を細かくチェックする。休み明けには「研修報告書」を提出させる。報告書についてもこと細かくチェックする。更に教育委員会(指導主事)が学校訪問して細かくチェックする。管理職はぴりぴりする。出世希望の教務主任もぴりぴりする。教育委員会(指導主事)からクレームがつかないように、事実とは関係なしに研修報告書の内容訂正を要求する。

    私は韓国語の研修を入れていた。韓国語はだめだという。自分が教えている教科や部活と関係のある研修でなくてはだめだという。しかし教師というのは幅広い研修をすることに意味があるのではないですか、そんな狭い了見でどうしますかと反論したこともある。

    実際問題としてほとんど意味のない書類の作成にエネルギーと時間を浪費するのは我慢がならなかった。私は校外研修は願い下げにして長期休暇中は仕事のあるなしに関わらず、朝から夕方まできちんと出勤することにした。がらんとした校舎を冷房つきの自分の書斎だと考えれば快適だった。研修計画表作成、チェック、書き換え、研修報告書作成、チェック書き直しの無駄な労力と時間の無駄を考えれば天と地である。

    夜間定時制に勤務していた頃、東京のある夜間定時制高校から転・編入試験の問い合わせがあった。私達は午後1時から勤務がはじまる。手続き上の打ち合わせで、こちらから午後電話したら、警備員さんが応対された。うちの学校では担当の先生は5時頃しかお見えになりませんという。私たちの県でも30年くらい昔はこんなだったなあと思った。

    こんな書類が必要なのかと思われるような書類をやたらと出させる。ただでさえも忙しい現場をさらに多忙にする。私は校外研修はしないという選択をした。最近は教育ネットが網羅されているからもっと管理されているのではないかと思う。

    つい1年前まで現場を知らない人が机上で考えた「必修クラブ活動」があった。クラブ活動を時間割の中に組み込んで義務づけた。その実施については行政による現場への締めつけが厳しかった。そうしなければ維持できない実態があった。

    達観した生徒はいい子にして1時間何とかやり過ごす。他方、塀を乗り越えてでも逃げて帰る生徒がいる。それを追っかけ回したり、張り番をしたり、生徒と押し問答になったり、現場はその無意味さに疲労困ぱいした。折り紙クラブ、居眠りクラブ、囲碁クラブ、いろいろである。

    私が小学校4年生の頃は、「自由研究」という時間があった。あの頃はそれなりにみんな何かを研究観察していた。高校の必修クラブがうまくいかないのは、常日頃から実生活から何かを学ぶとか、身体と頭を使って何かを研究しようという習慣がないからではないかと思う。

    その後、ボランティア活動を必修にしようという話が出た。ボランティア活動の成果を評価するのならわかる。義務づけられればそれはボランティアではなくなる。しかも評価が伴えば評価目的になる。現場を知らない人たちが机上で考えたことにどれほど時間とエネルギーを浪費してきたことか。

    県の財政がひっ迫し、事務室では電気代の節約に腐心しているところに、一方教務主任研修会では、7月〜9月の皮膚が痛いほど太陽が照りつける中、黒装束集団がぞろぞろと集る。研修会場に入ると寒いくらいに冷房が効いている。スーツを着せるために冷房を効かせているといっていい。

    カッターシャツ姿で来れば注意されて校長に電話連絡される。研修会のはじめと終わりだけでなく、講師が入れ替わるたびに起立礼の号令をかける。教務主任の多くは出世絡みだからいいも悪いもない。皆唯々諾々である。

    5.6人白いカッターシャツ姿の教務主任がいる。これは出世の野心はない。わずか月5000円の手当てで、ボランティア精神で人一倍の多忙を引き受けた教務主任である。その後間もなく、省エネのためにクールビズが普及する。

    こういうこともある。民間企業ではリストラをして管理職を減らして経費削減しているときに、教育界では管理職を増やし続けていた。校長のポストが足りない。それに代わる総括教頭という管理職である。教頭は多忙、総括教頭はゆったり、校長職に空きができるのを待つ。

    定年退職すれば金杯が記念品として贈られる。本物どころか金メッキでもない。印刷代だってかかる感謝状も不要。こんな無駄使いするくらいなら在職中に人間らしい処遇をしてほしいものである。

    学校卒業と同時に教師になるのはあまりいいことではない。半分は新卒、半分は一般社会人から採用するとか、教育界にはもっと多様な人材が必要だ。

    教員採用試験は難関となった。しかし難しい試験に合格できることにこそ問題はないのか。採用試験受験資格の年令制限を撤廃する。更には経歴によっては教員免許にはこだわらないとかいろいろある。

    一部の教師の行動が世間の批判を浴びると同時に行き過ぎた教師への批判がある。夏休みがあっていいですねと言う言葉に象徴されるように、それは批判にもつながる。世間の批判があれば管理を厳しくする。それと同時に別の思惑の行き過ぎた管理がある。まさに「角を矯めて牛を殺す」結果にはならなかっただろうか。