| [ハイサーイ!私の徒然草] |
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その後、教育委員会がしっぺ返しをするかどうかがひとつの見どころである。しっぺ返しがあれば、やっぱりそうかと、教育行政の「変わろうとしない。偏向した」体質がわかる。それと裁判所がどう判断するかである。 裁判所も頭っから信じてはいけない。大学入試だって3教科3科目で頑張って、ひたすら司法試験にパスするためにお勉強してきた哲学のない裁判官がおかしな判決をするからである。 ここに書いてあることはほとんど日常茶飯事に教育界では行われてきたことである。これはかつての福岡県での話。教頭になりたい、校長になりたいと思う人たちは、とにかくいいも悪いもない。ひたすら教頭は校長に、校長は教育委員会に従ってきた。ひどいものだった。たとえ自分の意志に反しても。 私はこういう教師を信用しなかった。組合から寝返った教師や御用組合員に多かったことは言える。もちろん組合にも批判されてもしかたがない面はあった。それでも組合員の中にこその大切にしなくてはならない良識というものがあった。組合は悪いというまるごとの批判は何か意図あってのことか、思慮が足りないかのどちらかである。 私が現役だった頃、夏休みは教師は休みではない。毎日定刻に出勤して定刻に帰れと監視された。あれはまさに監視です。教師の中に監視役がいました。校長に報告するのであればまだしも校長の頭越しに校内の状況を教育委員会に通報することが横行し、校長が叱責を受けることもあった。こういう教師は転勤の際に進学校に有利に異動した。 学校によっては教師が夏休みに自宅で研修することを許さない管理職もいた。普通は自宅で研修するとか、公的な図書館に行くとか、要するに校外で研修するには、夏休みに入る10日くらい前までに細密な研修計画を出させる。 校長がチェックする、夏休みが終わると研修報告書を出させる。それを教育委員会の指導主事が更にチェックする。不適の指摘を受けないために、計画書提出の段階で教師に計画内容の変更を命じる。 いちど、私が韓国語の勉強をしたいと計画に入れたところ、だめだと変更を求められた。教科と関係ない、部活とも関係がないからだめだという。 私は、教師はできるだけ幅広い研修が必要なのではないか、そんな了見の狭い考え方でいいのかと教頭に抗議した。教頭もそう思っていた。私が言っている訳ではないから校長に直接言ってほしいと言った。これが教頭として精一杯だったと思う。普通の教頭なら点数稼ぎに私に校長と同じことを言ったに違いない。 書けばきりがないけれども、もっとひどいのは、夏休み、冬休み期間が終わって報告書を提出すると今度は報告書の修正、変更を命じる。ありのままを書いているのにどう訂正せよというのか。しかし教育委員会の指摘を恐れて強要してくる。 私が教務主任をしていた頃年下の教頭がとにかくいいも悪いもない、校長になるまではひたすら辛抱という。こういう人は校長になっても教育界には貢献することはない。自分が校長になりさえすればいいのだから。 私は筋の通らないことは厳しく教頭の行動を阻止した。私は組合員でありながら、教員組合のあり方には嫌な面の方が多かった。しかしきちんと筋を通そうとする教師は間違いなく組合員の中にいた。だから組合がなくなれば必ず教育は歪むと信じていた。 本物の組合員か偽物かは組合の弱り目たたり目にわかる。組合が弱くなってからも組合員で居続ける教師、退職してからも活動を続ける人は私は信頼してきた。組合が弱くなって出世の踏み台にもらず、異動に不利になるとバラバラと脱退していった。組合存在の本質を見ずに、悪い面だけしか見なかった人もやめていった。 |