私立には塾 塾には金

   今朝の朝日新聞1面の記事の見出しです。地方に住む私には理解できないことばかりです。

Thu.Mar.23.2006
Wed.June.24.2009

[ハイサーイ!私の徒然草]

    年収1200万円で、マンションのローンをかかえ、駐車場代が払えないから、車を手放し、貯蓄残高が0で、母親がパートにでなければならない。父親は「学費の分だけ勉強しなさい。財産になるものは教育しかない」という。確かに首都圏ではマンションだって高額でしょうがそれにしてもちょっと理解できない。


    年収が高いだけにいっそう割り切れない。教育は財産だということはわかるけれども、この記事を読むかぎり、これは教育ではない。むしろ駄目にしているのではないかと思う。その結果として社会がおかしな方向へと変質していく。


    人は自分が受けてきたようにしか自分の子どもを教育することができない。発想の転換などそう簡単にはできない。一度間違えば、まちがった考え方は世代から世代へと遺伝のように伝わっていく。


    この記事を全国の読者はどういう気持で読んだだろうか。記者は淡々と記事にまとめているが、この現実をどう思っているのだろうか。


    このようにして首尾よく有名中学、有名高校、有名大学に進学した人たちが社会的な地位を占めているとしたら、日本の将来は暗たんたるものがあります。


    官僚の天下り、談合の問題、マンションの構造計算偽装、社会保険庁、道路公団問題、防衛施設庁天下り談合など、何処もかしこも不正だらけではないか。これからもあとを断たないと思う。こういった腐敗の問題とお金で教育を買おうとする考え方とは表裏一体である。


    東京の国立大学の教育学部長が「塾が、学力を決めると結論づけるしかなかった」そうである。進学塾に通っている子とそうでない子とでは100点満点のテストをすると平均点が27点も違ったという。あたり前ではないか。全体の14%しかいない通塾者が私立中学合格圏内の9割を占めたという。それもわかり切ったことである。こんな事を調査して何になるのだろうか。


    塾で特訓した点数の高い子ばかりを集めた中学校こそ変なのではないか。この国立大学の教育学部長ともあろう方が試験の点数が学力だというお考えのようである。学力とは一体何か。こういう状況がエスカレートすればこの先日本社会がどうなるかをもっと心配した方がいい。


    お金がなくて子を塾に通わせることができなくても、心配なことがあろうか。お金で、塾で、大切なものを失うほど不幸なことはない。お金を使って塾に通って希望の学校に進んで希望の職を得て、一見上手くいったかに見えても、社会的な観点から見たとき、社会はいい方向に向かうかどうか。


    お金がなくて学習塾に行けないことよりも、塾に通えないことを不幸だと思うことが不幸なのではないか。一度塾に通い始めると、勉強とはこうしてするものだという固定観念ができてしまうから途中で塾をやめるわけにはいかなくなる。学校を出るまでお金がかかる。


    世の中には塾だとか家庭教師だとかにお金を使わずとも、少しも困らない人はいくらでもいる。塾に通えないからこそ人生観を狂わせずに済むかもしれない。


    もともと子どもは、私は例外なくそうだと思うけれど、好奇心も強いし向上心も強い。負けず嫌いである。その三つ子の魂の伸びる芽を摘まないことだと思う。


    教育の外注を止め、教育費を削ってゆとりある心豊かな暮しをした方がどれだけいいかわからないと私個人としては考える。