大河ドラマ篤姫の魅力1

Sun.May.18.2008

[ハイサーイ!私の徒然草]  

   今まで大河ドラマを面白いと思ったことはなかったが、「篤姫」は面白い。「家定はうつけだ」といううわさがあって、篤姫は家定が「うつけ」か「うつけでない」かにこだわった。

   現代でも、賢そうに見える賢い人もいれば、うつけにみえて本当にうつけ者もいる。賢そうなうつけ者もいれば、うつけ者に見えて賢い人もいる。

   けた外れにすぐれた人物であってこそ一切の格式にとらわれない自由なものの考え方ができる。この最後の「一見うつけ者」というのは凡庸の人々から見れば、その言動が「うつけ」に見えるだけである。実際には独創的で、尚且つ、けた外れに緻密な頭脳の持主である。私はこういう一見うつけ者に見えてうつけ者でない人物が好きである。賢そうに見える人物は本当はそれほど賢くはない。もしかしたらうつけ者かもしれない。高が知れている。

   現代社会はせいぜい賢そうに見えるうつけ者社会である。そういう見方が出来る歴史ドラマは面白い。表面には時代とともに移り変わってゆくものの考え方の流れがある。しかし、その深層には「人が仕合せであるための人としてのあり方」というものがあり、それは時を経ても少しも変わることはない。歴史の知識があるか否かとは一切関係ない。知識はかえって邪魔になる。

   たとえば、天下りを繰り返して蓄財し、豪勢な生活をしてきた人たちは、勝ち組を謳歌し、いい人生だったと思っているかもしれない。しかしそれは国民を食い物にした人生であり、これほど心貧しい不幸な人生があろうか。必要以上のお金を手に入れて、これ見よがしの豪勢な生活をする心貧しさである。社会にとって悪でさえある。一握りの富裕層の犠牲となった大多数の貧困があるからである。