第二反抗期

Sat.Jun.20.2009

[ハイサーイ!私の徒然草]

   私の第二反抗期は小学校の高学年にはじまった。激しい方だったと思う。ああ言えばこう言い、こう言えばああ言い。

   心のうちまではわからないけれども、目立った反抗期がない人もいるらしい。これは私にとって理解できないことのひとつ。

   これといって叱られるようなことをしない子だったら反抗する材料がない。ほめられてばかりでは反抗する理由がない。叱られることがなければ自己肯定的になる。つまり自信家になる。

   親が子の壁にならなかったならば、子は成長しない。明治、大正、昭和の太平洋戦争敗戦までの日本人は10代で、あるいは20代で国を動かすほど成熟した大人だった。

   現代人はどうかすると50歳になっても、60歳になってもまだどこかしら子ども的である。今だったら、80歳以上の方々にしてはじめて大人を見る。大まかに言ってそいう気がする。

   年令を重ねれば自然に子どもから大人になるとは思えない。第二反抗期というのは子どもの殻を脱皮する苦しみだという気がする。思春期にそのチャンスがなければいつか大きな壁にぶつかるときが来る。困難や壁がなければいつまでも成長できない。

   大人とは、他人への配慮ができる、相手の気持がわかる、人情の機微がわかる、親しい仲にも礼儀ありという弁えがある、他人に対する敬意と自分の未熟さを知っているとかいろいろ言い方はある。

   親が強すぎるとか、子の自己規制が強ければ、自分を抑圧し、その精神的なエネルギーが行き場を失って神経症になったり、心身症になったりする。(フロイトの「精神分析」的表現)

   しかし、神経症でも、心身症でもそれを乗り越えて大人へ脱皮する。助けが必要な場合がある。神経症や心身症が治る過程というのは、自分の内面を見つめるもう1人の自分が現れる過程であり、再教育の過程でもある。

   いずれにしても、苦しまなければ、自分を見つめるもう1人の自分が現れなければ、人にやさしくなければ、物知りになっても、年令を重ねても、いつまでも子どものままである。

   太平洋戦争が終わったことを知らずに28年間もグアム島の山の中で暮らし、帰還した元日本兵・横井庄一さんが「もっと困れ!」という本を書いておられる。結局それしかない。

   自分を見つめるもう1人の自分が現れてはじめて大人になる。