| [ハイサーイ!私の徒然草] |
|
もうひとつ心にかかっていたことがある。母から聞かず終いだったから知る由もない。知る由がないからきっと一生気にかかったままである。幼い私の命を献身的な手当で救って下さった先生はどなただったのだろうかということ。父の友人の医師であったことはわかっている。自分のことはよく覚えている。 まだ、米軍の爆撃機による空襲がはじまっていない頃だから、3歳〜4歳の間ではなかったかと思う。 福岡市東区のあの古い一番奥の家。母は台所にいた。私は座敷の隣の6帖の間にひとりで居た。はっきり記憶はしないけれども、発熱して寝かされていたような気がする。座敷の欄間にうつむき加減にかかった額の墨の文字を見ていたら、額の上からリスのような、ネズミくらいの大きさの動物が2匹、釣り針がついた釣り糸を振り子のように振らせて、その釣り針が私を襲ってくる。 こわくなって母のそばに駆け寄った。「額の上からサルが釣り針で僕を引っ掛けようとする」と言った。母が来てみたがそんなものは何も見えるはずがない。私はおびえた。 それから、私は引きつけを起こした。歯を食いしばり、全身が硬直した。意識を失った。それから先き、記憶にあるのは、幻覚と意識が戻りはじめてから、「目が見えない、目が見えない、電気をつけて!」と叫んだこと。母が「100ワットの電灯が明々とついているよ」と言ったことで、真っ暗なのは自分の目が見えなくなっていることを知った。 後で母から聞いた、「○○先生の坊ちゃんが危ない」(母から聞いた言葉そのまま)と父の友人の医師が自宅に駆けつけて下さったことそれが1人だったのか2人だったのかは記憶にない。ひとりではなかったと言う気がしていた。兄はまだ医学生だったはずだが、兄の記憶がない。 幻覚は自分が寝ている右の壁の大人の背丈くらいのところに直径1メートルくらいの丸い窓が見えた。ガラスは入っていない。外側に窓の真ん中に水平にもの干し竿のようなものが見えた。その竿に手も足も羽根も何もない、真っ黒な目玉のお化けが3匹並んで止まって私を見ている。恐怖感はない。 それから、あれはどこの川かわからないが、土手に、足を水面に向けて斜めに寝ていた。絹のような柔らかい布団カバーの羽根布団のようにフワフワとした掛け布団が胸の辺りまで掛けられていて、両腕をその上に乗せている。ふわふわしていた。 しかし、目は見えない。幻覚として見えるのは、少し橙色がかった黄色い、泡立ったヘドロのようでもあり、薄く乾燥してがさがさした膜のようでもあった。その感触と、両腕を乗せている布団カバーの感触とが重なった。 このときおしっこを漏らした。川に浸かった感じがしたのはそのためかもしれなかった。それから完全に回復するまでのこと、回復してからのことは全く記憶にない。 高熱による「脳症(のうしょう)」だった。父は亡くなり、血のつながったひとり息子だから、母の心配は推して知るべし。また、医師も全力で命を救って下さった。 * 当時は電話のある家はほとんどなかった。どうやって連絡したのだろうか。それもわからず終い。 |