| [ハイサーイ!私の徒然草] |
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昭和39(1964)年、佐賀県で教職について2年目、激しい腰痛に襲われた。当時は細身で、肥満していたわけではなかった。身長166センチメートル、体重は55kg重くらいではなかったかと思う。 高校1年生の頃、グランドでジャンプして着地した瞬間、腰を痛めてへたり込んだことがある。あれが後々まで影響しているのではないかと思った。 そのときなぜわざわざ福岡まで戻って、実家近くの、九州大学病院の正門前に昔からあった水野整形外科をたずねたのか、それもわからない。 ご年配の白髪の院長先生だった。私の父と同年とすれば、当時77歳くらい。医院の建物は院長先生の年齢からすると大正時代に建てられたものではないかと思う。診察室は天井が高く昔の大学病院の診察室のような雰囲気である。歴史を感じるヨーロッパ風の木造の建物だった。 診察とレントゲン撮影のあとで、病状をメモ用紙に図を書きながら懇切ていねいに説明して下さった。穏やかであたたかい雰囲気の先生でした。最近の整形外科に行くと決まり文句のように言う、腰椎骨が神経を圧迫してどうだとか、牽引が必要だとかいう話はなさらなかった。 これは脊柱の周囲の筋肉が原因だとおっしゃった。背骨の両側から何本ずつか筋肉注射をしていただいて痛みは治った。 それまでどこの病院にかかってもこんなに丁寧な説明をしてもらったことはなかったので大変印象に残った。 佐賀高校の健康保険証を出したから、診察しながら先生が私にあなたの出身はどちらですかとたずねられた。自分は宮城県出身だとおっしゃった。旧制二高ともおっしゃった。スキーの話をなさった。私は今は佐賀市内にいるけれども、もともとはこの近くの○○に母と住んでいたと答えた。どこまで詳しくお答えしたか記憶がない。当時、私の頭の中では、父と水野先生とがつながらなかった。 私の父も同じ宮城県出身で旧制二高(現・東北大学)であり、九大時代の同級生であり、水野整形外科とは東公園をはさんだ南側で内科病院を開業していた。父は二十数年前に亡くなったが、私がその二男ではないかと、いろいろ自分の話をなさったのだと思う。私の名前、父が亡くなってからの年数と私の年令が同じことなどから、先生には全てお分かりだったとは思う。 * 旧制二高+東北帝国大学=新制東北大学。 旧制福岡高校+九州帝国大学=新制九州大学 ずっとあとになって母から、父が生前に水野君、水野君といっていたそうで、大変近い間柄だったことを聞かされて、ああ、そういうことだったのかと気がついた。 私は父に会ったことがない。あのとき自分が気づいていれば、水野先生とお話しできたのにと、気づかなかったことが悔やまれてならない。気がついたときはすでに水野整形外科の建物は解体されたあとで、ご消息もわからずじまいになってしまった。父のことを知る大切な方だったのに。 |