ちょっとだけ自分探求

Wed.Jan.05.2011

ハイサーイ!私の徒然草

 自分の性格のごく一部を言えば、まじめそうでそんなにまじめというわけでもなく、さりげないふざけ心、人が言うには、それがおもしろいんだって、まじめに話しているのにくすくすっと笑う人がいる。知らず知らずにいたずら心が働いているからにちがいない。

 自分では自分が面白い人間だと思ったことはなく、別に笑わせようと思っていたわけでもなく、ふと言ったことが、面白いのだそうだ。

 定年最後の1年間をある県立工業高校で教えた。男女半々のクラス、女の子たちが笑い通しだった。物理の授業が1年間楽しかったといった。それは教科書と黒板とにらめっこでなくて、小道具をいつももって行って、教壇の端から端まで使ってパフォーマンスをするからだ。

 若い家庭科の担任の先生が、うちのクラスの生徒に言って聞かせて下さい、うの生徒は先生の言うことなら絶対に聞きますから・・・と顔を見るたびに言う。一度何かの時に少しきついことを言ったら薬が効きすぎた。

 私はまじめそのものなのだが、そのときその時の雰囲気で、考え方も行動も、形にとらわれないところがある。そこに意外性があるらしい。

 この性格の源はいったいどこにある。

 私は生まれた時からずっと一人っ子で母子家庭育ち。ちょっと内弁慶で、人見知り、小学校登校初日は1人で校舎に入れず、泣く有様。

 小学校3年生まではくそまじめ。教科書を読みなさいと言われて、立ち上がって読むときは、教室中に響く自分の声の大きさに驚く。素直ではあっても、基本的にはわがままで、4年生頃からはふざけてばかり、基本的生活習慣はできておらず、何事も好奇心の赴くままに熱中する。集中力は高い。気持は熱い。

 中学生の頃、授業中、先生に指名されて、正答だけをまじめに答えない、機転を利かせておもしろおかしく尾ひれをつけて言う。友達も先生も思わず笑ってしまう。

 くそまじめな先生にはひどく叱られたことはあるが、大方の先生は大喜び、授業の潤滑油的存在、それが楽しくて学校に行く。クソまじめな先生の時は以後絶対に冗談は言わない。

 集中力は高いが、家では勉強はしない。あれから60年後の今、さりげなくやるようになったというだけで、未だにそのクセが抜けていない。

 頭の中身は結構型破り。自分はくそまじめと見られている、それはその通りだが、でも私はくそまじめで固い話ばかりする茶目っ気のない人は苦手だ。酒を飲まずに酒飲み相手にまじめなことばかり言う相手もちょっと苦手だ。

 三十歳代半ばに、デール・カーネギーコースを受講したことも遊び心の補強になっているかもしれない。同じことを話すにしても、どういう題材をどう構成したらいいか、この話は効果的か、効果的でないかは、話す前から見当がつくようになった。

 それやこれやが合わさっているにちがいない。