どんどん遠くなる先祖の地

   子には、親の面倒を見ることよりも、親にとってもっと大切なことがある。大切なことは、お勉強ができるとか、学歴だとか、お金だとか、社会的地位だとかで、安っぽい似非気位は捨てて、人間としての高い気位をもつことにある。普通意識から脱却しなくてはいけない。


Fri.Jan.19, 2007

[ハイサーイ!私の徒然草] ブログ編


 懐かしい気持になるのは


思い出せば、懐かしくなることは沢山ある。

それは、私の遠い昔の日々を思い出すとき......

今は亡き父、母、兄を思い出すとき......

父の遠い故郷、そこに関係のあるご高齢の一族の方々を思うとき......



一番心が痛むのは


子や孫が一族の故郷を忘れ去るとき......

立派なご先祖様に無関心な時......

遠い先祖の地を忘れれば、心の根無し草......

一族の先祖を忘れ、一族としてのアイデンティティを失えば、

どんなにお勉強ができようと、仕事ができようと、高が知れている。

世間的に、いわゆるできがいいというだけで、心の深さがなければ、

心の深い、立派な一族のご先祖様への尊敬の念を忘れれば、

浮かぶ瀬のあろうはずがない。

心の中に立派なイメージがなければ、立派になりようがない。

意識的に努力しなくては、タコ糸が切れたように、どんどん心の故郷から遠くへ流されていく。

一族としてのアイデンティティもなく、遠い先祖の地に思いを馳せることもなければ、

自分が何者であるかすらわからなくなる。

物事の順序もけじめもない、堕落した社会と同化して凋落していくだけである。



 心がゆたかになるのは


それは古手紙を読むとき。古文書のような古手紙を読むとき。

私が生まれる何十年もの遠い昔、私の幼少時に縁のあった人々が書き残した沢山の古手紙を読むとき、

若い頃はそれは単なる古手紙でしかなかった。しかし今読み返すとき、人生の重みを感じ、胸が痛む。

祖父母や親が亡くなれば悲しい。感情としての悲しみはやがて薄れる。

自分の力だけで生きているとでも思って。表面的な仕事に紛れて。

心を込めて読めば、故人の元気な姿が見える。共感して深い思いに沈む。

生前いろいろな思いを残して亡くなったことを知る。若い頃はそれを見過ごしていた。

仕事だとか、生き甲斐だとか言ったって、人生の表面しか見ていなかったから。

故人が書き残したものは、その人自身として永遠に生き続ける。

言葉の背後に故人の深い思いが見えてあはれである。

50年も60年も、いやもっと昔の人が書いた手紙を通して故人と対話ができる。

一番謙虚な気持になり、心がゆたかになるときかもしれない。