| 私のはじまりの記憶 |
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「はじまりの記憶?」と言うのは柳田邦男氏がその著書「言葉の力、生きる力」(新潮文庫)で次ぎのように書いている。 人はだいたい5、6歳の頃遅くとも7、8歳の頃に何かに強く感動したり、心を惹かれたりする経験をすると、それが原型となって、右脳の中に、どういうものに感じやすくなるかのレセプターが形成されるのではないか、そして、結局人間が生涯に為すことは、幼少期に用意されているという仮説は真理なのだろうと。 そう言えば、平凡な人生ではあったけれども、私は完全にこの「はじまりの記憶」に導かれていたことに気づいた。 私は進路選択に小さな迷いがあったり、それは少しちがうのではないの?というような選択をして、曲折はあったものの、最終的にはある方向に収束していった。 私のはじまりの記憶は小学校2年生のときの出来事であり、もう一つのはじまりの記憶は中学校2年生のときだった。 今で言えば高校生、終戦当時はまだ教育制度が旧制度だったから、近所の旧制中学生が、アメリカから入ってきた最新式の私の家の電気蓄音機(でんちく)を修理しにきてくれた。その時の記憶は強烈でした。 それ以後は柳田邦男氏が書いているように、ラジオ製作のことしか念頭になくなりました。当時としては時代最先端の趣味でした。 学校に毎日通うものだという考えすらなく、中学2年生になっても勉強のことなど意識にありませんでした。ラジオ作りに明け暮れ、ああでもない、こうでもないと創意工夫の毎日でした。 生活があまりにもでたらめでしたから担任の先生に厳しく叱られました。資金源の新聞配達もやめさせられ、趣味の本も道具も取り上げられました。 これが第2のはじまりの記憶、つまり私の人生に大きな意味をもつ出来事でした。これまでの自分の生活がでたらめだったことに気づきました。学校に行けばいつもふざけてばかりでしたから、もっと落ち着いたまじめな性格になりたいと心の中で自分との長い闘いが始まりました。 これがきっかけで、ラジオ作りといういわゆる物を対象にした趣味を卒業しました。心理学の本を読み、自分研究がはじまりました。 このかつての“ラジオ製作に熱中した記憶”と“自分との闘い”の二つの柱が私の職業選択の時に結びつきました。 もう一つあります。それは遠い昔、祖父母のそのまた祖父母おそらく江戸時代からずっと、宮城県石巻市では由緒ある医学者の家系でした。自分は医者になるのだという建前が絡んでいました。 しかし、結局はその建前は「はじまりの記憶」には勝てません。 私は大学はそれまでの自分には縁もゆかりもない農学部の林学を選びました。他にいくらでも選択は可能だったのに、何の心の迷いか林学を選び、後で悔やみました。何で医学部を受験しなかったのかと。 しかし、大学の4年間にこの三つがうまく融合しました。自分は医者になるとしても精神科の医者になると思っていた。それは自分自身との長い闘いの中で心の問題に関心があったからです。 そうだ、教師になろう。それも物理の教師になろう。そうすれば自分のそれまでの興味を生かすことができる。ただ大学では『林学』しか勉強していないのになぜ物理の教師になれたのか。 運もありますが、自分が物理が好きだったことが一番力になったと思います。教員採用試験はそれで合格できたのです。他県から地元に帰ってくる時も採用試験を受けました。試験勉強は一切していません。面接もそのときそのとき思ったことを話しただけです。 子どもにはじまりの記憶に恵まれるチャンスを与えるとが大切ではないかと思います。塾通いさせて、朝から晩まで勉強漬けでははじまりの記憶など生まれるはずがありません。 ペーパーテストで評価される学力なんて、はじまりの記憶があれば、一気に取り返すことができます。 |