北アルプスの思い出
| 私が林学の学生だったころは山での実習が多かった。高校時代は福岡市近郊にある若杉山や宝満山によく登った。山らしい山に登ったのは久住山だった。学校では登山部の合宿で近くの山や祖母山、傾山、大崩山などに登ったし、同僚とは北アルプス縦走をした。西岳小屋から眺めた夕日の美しさ、吸い込まれそうな壮大さに感動した。 |
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山歩きの思い出は大学の2年の頃からはじまる。盆も過ぎたころ、友人と4人で大分県の九重山に登ったのが最初だった。牧の戸温泉に一泊して翌日早朝に出発した。盆過ぎのまだ暑さが厳しい時期だったので、半袖シャツで予備知識も地図も磁石もなく気軽い気持で登った。ところが天候が急変して雨は降る、ガスはかかるで寒いなんてものではなかった。凍えてしまって、弁当ものどを通らぬほどだった。方角がさっぱりわからない。先頭に立って登ったのはよかったのだが、山頂に着いてみると九重山ではなくて隣の星生山だった。たとえ夏でも天 候が急変すれば周到な準備をして出かけないとこういう大変な目にあうということを身をもって体験した。あれからもう7〜8年にもなる。 登山をなかなか思い立たないから、私は本当の山好きかどうかわからない。しかし決心して登ってあの山頂での爽快感を味わうと来てよかったといつも思う。将来は国立公園など山の自然の中で仕事が出来たらいいなという気持があったから林学を選んだ。学生時代は夏には1ヶ月以上もかけて実習や合宿で北海道まで全国の山々を歩いた。しかし登山が本来の目的ということではなかったから、いわゆる登山歴はゼロに等しい。いずれにせよ山とのつきあいはその頃からのことである。 15人の林学の学生は春夏秋冬の休暇は実習のためほとんど山での合宿だった。初めのうちは、1週間とか2週間の山での慣れない作業はつらかった。夏には実習や見学で2ヶ月にわたる旅行をしたけれども、そのうち後半の1ヶ月は北海道の山の中で過ごした。早朝から夕方遅くまで山を歩いて帰ってくる。実習が山の測量ならば、ナタや鎌で潅木の茂みを切り開いて道を空けながらの作業だから2週間もすると足が前に出なくなるほど疲れ切った。こんな苦しかったことも今思い出せば懐かしく感じられる。 前置きが長くなったけれども、昨年8月中旬から下旬にかけて、北アルプス縦走をした。あいにく松本から中房温泉に至る間に空模様が怪しくなった。中房温泉に一泊して翌朝燕岳(つばくろだけ)に向かう途中でとうとう雨が降りはじめた。その日は小学生が雨具を着て団体で登っていた。その列の間に入り込むような形で我々も登った。燕岳の山荘で一泊した。燕岳の山頂では気温は10℃で風は冷たく、4℃の湧き水は手を切るように冷たかった。 いたるところにユリに似た黄色いニッコウキスゲ、チシマギキョウ、シナノキンバイなど珍しい高山植物や、地に這うような格好でハイマツが群生している。 晴れていたらもっと素晴らしかっただろうなどと、どんよりとした空をかこちながら大天井岳をまわって、西岳小屋に着いた。日もまさに沈まんとするころ、山小屋のカーテンの隙間からふと西向かいからこちらを見下ろしている槍ケ岳を見た。槍が真っ赤に燃えているではないか。槍の先にかかった雲が夕日で真っ赤に燃えているのである。東には見事な雲海が広がり、アルプスに来て初めてのさわやかさである。なんと壮大な光景だろう。外に出て岩に腰掛けてこの光景を眺めていると、一瞬山に吸い込まれる様な気がした。 途中で一番こわかったのは、道が崩れていて、すぐ下は断崖絶壁になっていて、鎖につかまらなければ通過できない東鎌尾根だった。槍ケ岳の頂上では肩まである岩をよじ登って槍の先端に立った。そこは考えていたよりずっと狭かった。 翌日は、台風接近のため、槍ケ岳には泊まらずに、上高地方面を経由して高山に向かう予定を、新穂高経由で高山に向かうことになった。ガレ場を過ぎると、ハイマツの群生も見られなくなり、暖かそうなダケカンバの林が続く。昼下がりの陽光に照らされた黄緑がとても美しい。さらに下ると樹木の種類もしだいに増えて、コメツガ、アオモリトドマツ、ナナカマドなどがあらわれはじめ、気温も15℃、20℃と上がり、手を切るようだった水も温んで快い冷たさになる。 そして高山に着いたときにはすっかり厳しい残暑にもどっていた。今まで気づかなかった空腹を感じた。名物の精進料理の店に上がり、ものも言わずに食べた。精進料理で俗人にもどったというのも変だが、その時はじめて我にかえった。 静かな高山の町には京都を思わせる雰囲気がある。訪れたのはこれで2度目であるが、しばらくここにとどまりたいような懐かしい気持になった。そういう感傷を残してこの町をあとにした。 |