脱成長か成長追求か

Sun.Jan.08.2012

ハイサーイ!私の徒然草 小春日和の韓国語のお勉強

 これは2012年1月8日の朝日新聞朝刊1面の見出しである。

 昨年末民主党政権は2020年度までの平均で名目3%の経済成長を目指す「日本再生の基本戦略」を決めた。

 政調会長の前原誠司は達成のため、あらゆる政策を実現するとしたのに対して、枝野幸男経済産業相は「坂の上の雲にたどり着き、もっと先に雲はなかった」といい、「私は人口減少社会での経済成長は難しいと思う」と経済産業相の指名を1度は断ったという。

 日本中経済成長一辺倒の中でよくぞ脱成長の新しい国の形に言及して頂いた。こういう考え方を閣僚の一人でももっていたということ、そして発言してくれたことでほっとした。新しい発想が必要なのです。

 私はグローバル経済の経済競争の渦に巻き込まれて、経済成長を追求して泥沼にはまっていくことに対して疑問を感じていた。ただ、世界の経済競争から距離を置いて、経済成長にこだわらず、この日本を豊かにする方法が考えられるのであれば、そういう選択をしてほしいと思っている。

 そのためには、人の幸せはお金や物がすべてであるという人生観を転換しなくてはならない。

 経済成長とはなんですか。新しい物、高価な物を手に入れるのが幸せだというのであれば、何を言っても無駄だが、要するに余計な物を大量に作って売りさばき、使える物を捨てさせて、とにかく人の幸せにつながっていようがいまいが、お金が動きさえすればGDPは増える。

 海外の市場を標的に国際的な競争に勝つためにはコストを下げなくてはならない。賃金は下がり、雇用は減り、従業員の健康保険料や年金、雇用保険の掛け金などの一部負担もしたくない。正規雇用を減らして非正規雇用にする。社宅や寮も廃止、厚生施設も廃止、残業手当も値切る。ひどい話である。

 雇用は減る一方で雇用を増やすなんてありえないでしょう。雇用を減らすことにしのぎを削ってきたのではありませんか。安定的な雇用の創出なんてあるわけがない。雇用対策なんてもともと嘘である。

 だから口先三寸、人間にとって必要でもないものをいかにも必要であるかのような宣伝をして売りさばく仕事ばかりが増えるのです。効きもしないか、必要でもない、必要でもないのに摂りすぎれば身体を壊しかねない、栄養剤、サプリメント・・・数え上げれば限りがない。お金の無駄遣いである。

 特別の技術や、技能、才能のある人は仕事があるけれども、そうでなければ仕事がない。普通の人が、働く意志さえあれば普通に仕事をえて、健康で文化的な生活が約束されてはいないではないですか。これで幸せな社会と言えるのですか。

 企業が海外と競争にしのぎを削っている陰では国内では雇用はどんどん失われている。生活は苦しくなり、格差は拡大する一方である。海外に日本製品が売れてもその恩恵にあずかれない人々が沢山いるのではないか。

 円高でなくてさえ、発展途上国の人々が、高い日本の製品を買えるものだと不思議に思っていた。日本の製品が買えるのは途上国の一部の富裕層ではないですか。

 資源やエネルギー、環境問題、食料問題、人口問題など総合的に考えて、この地球は限界に来ているのではないか。これ以上経済発展できるとでも思っているのですか。資本主義経済そのものが内包する構造的矛盾が無視できないところまで来てしまったということです。経済のことしか念頭にない。政治家も経済界の人々も、官僚も。

 地球の現状をよく見据えたとき、世界中の国々が先進諸国とおなじレベルまで経済成長することが可能ですか。それは同時に世界の破滅への道でもある。

 これは原発推進か脱原発かの議論と本質的におなじこと。経済馬鹿は破滅を目の前にしてもまだ眠りこけている。

 たとえば、テレビのCMやショップチャンネルを冷静に見れば、如何に無駄なものが宣伝されていることか。お金に余裕のある人がそう言う無駄な物を買えば人助けにはなる。資源やエネルギーを無駄遣いして経済発展して幸せになると思うこと自体おかしなことだとは思いませんか。

 GDP信仰脱却への道を探るべきではないか。物売り競争ではなくて、別の形で世界に貢献できて、それで成り立って行くような日本の形を模索すべきではないか。それに油断も隙もならない国が存在する限り、アメリカ頼みではない自主防衛は必要かと。