英語とドルと武力行使

Sun.Sep.13.2009

ハイサーイ!私の徒然草 ブログ版

 日本には日本のことばがあり、朝鮮半島には朝鮮半島のことばがある。しかし最初は文字としては漢字を使った。

 その後、日本では漢字を元にして、平仮名とカタカナを作った。この平仮名とカタカナと漢字まじりの美しい日本文を作り上げた。

 朝鮮半島では朝鮮半島固有のことばの発音を忠実に表記するハングル文字を完成させた。ことばが文化の基本にある。

 ずいぶん古い話になるけれども、世界各国がそれぞれのことばを使うのは不便だから共通語として「エスペラント語」が作られた。しかしその後エスペラント語について語られるのを聞いたことがない。いくら理屈の上で都合がいいと言ってみたところで、自国の文化と結びつかないことばは根付かない。

 ところが、今では英語ができなくては世界を股にかけての仕事ができない。英語が共通語になってしまった。

 国内に多くの民族がいて、地方地方によって言葉が違えば、公用語として共通語があれば便利ではある。

 長い間アメリカやイギリスの植民地だった国は否応無しに英語を使うようになった。しかし、これは人権侵害の名残でもある。

 その国固有の言葉に代わって英語が一般的になれば、言葉は文化だから、それは大切な文化を奪われたことになる。

 言葉だけではない。ユーロが誕生したとはいえ、まだまだ、お金もドルが世界共通貨幣である。言葉やお金ばかりではない。アメリカ的なものの考え方、アメリカこそが正義だといえば、他の文化圏との衝突が起きる。

 アメリカ的な考え方が正義だというのはあまりにも独善的である。ベトナムでもアフガンでもイラクでも衝突が起きたし、キリスト教の聖地を巡っても争いが絶えない。一つとして解決したためしがない。

 民主主義が正義だという主張であるが、アメリカは人道的かというと決してそうではない。民主主義とは、現実は他国に介入し、支配するための表看板であって、「羊頭狗肉」であると言ってもいい。世界で一番素直に飼いならされたのが日本である。

 最近の話として、オバマ大統領が国民皆保険制度を作ろうとしても、反対する勢力がある。だいたい裕福な生活をしている人々である。自分たちさえよければ、貧しい人々のことなど知ったことかと言っている訳で、これはおよそ民主主義の看板を掲げる国の国民にあるまじき露骨さである。

 結果として、国内でも、国家間でも格差は拡大する一方で、貧困が果てしなく増えているというのが現実である。そのことに対する反発がテロのエスカレートではないかと思う。ソマリア沖の海賊も根は一つである。

 話は「テロは悪だ」という前提で始まる。しかし本当は「なぜテロがはじまり、エスカレートがとどまることがないのだろうか?」という疑問から出発しなくてはならなかった。おそらく武力で押さえ込むのは不可能に違いない。

 これはもはや従来の国家間の戦争とは形の異なる「第三次世界大戦」である。知らず知らずのうちに日本も巻き込まれようとしていると言ってもいい。

 それは「テロは悪だ」から話が始まっていることに原因がある。これは非常にわかりやすい言い分であり、テロは軍事力で撲滅しなくてはならないと短絡してしまう。おそらく解決するどころか世界は破局へと向かう。

 そこには文化と文化の衝突がある。国内では強者による弱者の経済的搾取、国家間では大国による弱小国からの経済搾取がある。ことわざに「窮鼠猫を噛む」というのがある。文化の多様性を認めないところに原因がある。視野の狭い短絡思考に原因がある。弱肉強食を野放しにした社会システムにある。