船長と幹部だけが救命ホートで逃げた

Sun.Sep.05.2009

[ハイサーイ!私の徒然草] ブログ版

 衆議院議員選挙が終わった。自民党への不満、民主党への不安は確かにあった。しかし民主党が圧勝した。テレビを見て、マニフェストについての具体的な質問に対する民主党の丁寧な説明を聞いて安心した。これほど優秀な人材が民主党にいたのかという驚きと安堵である。


 これまでの閣僚は衆議院での議席数にものを言わせて総理大臣をたらい回しにして、総理大臣が替わるたびに、大臣の椅子に座らせることによって知名度を高めさせるためだけの『お友達内閣』ができた。私は日本の内閣は高校の生徒会以下だと思っていた。


 与党議員であれば誰でも大臣になることができた。それは官僚が作成した文書を読み上げるだけだから誰でもできた。だからこそ「絆創膏農水大臣」「アル中財務大臣」「失言大臣」などでの交代があった。


 第一、国際会議に出席して記者会見の席で、べろべろに酔っぱらって世界に日本国民に大恥をかかせて、議員辞職もしないで議場に現れることのできる神経は理解しがたかった。


 政権を突然放り出して、そのまま議員として議場に姿を見せることができる神経も理解できなかった。私だったら即議員辞職せずにはいられなかったに違いない。その厚顔無恥さにあきれていた。


 もっとあきれたのは、総選挙に惨敗して、国民の信頼が完全に失われた数日後、大勢の記者の質問に対する総理大臣のあの横柄な対応は人間としても最低の対応だった。これでは国民の気持などわかるはずがない。惨敗して当たり前だと思った。


 なぜ選挙で惨敗したかという反省のひとかけらも感じられなかった。記者の背後にはテレビを通じて全国民が注視しているという認識がない。全国民が最大の関心をもって見ていたのである。


 それから、小選挙区で敗北した閣僚が全員比例区で復活当選しているということである。将来、党の再生に大きな働きをするであろう若くて優秀な自党議員を切り捨てて、閣僚が自分たちだけ生き延びようとしたことである。


 これは沈没しかかった客船から、客や他の乗組員を見捨てて、船長と幹部だけが救命ボートで逃げたに等しい。許されることではない。これまでの頭で党の再生などできるはずがない。


2009.09.05


60年安保時代から半世紀(私が学生だった頃)
腑抜けになった日本人

 労使協調が始まったのはその後である。「総評」がなくなり「日教組」が骨抜きになり「連合」に統合されたときに始まる。
 あのときも、国際競争に勝つために労使が争っている場合ではないといった。そして働く人々の人権は無視されることになった。

 「消費税」が新設されたときも、これから人口が減少する。年金が支えきれなくなる。消費税は必要だという主張だったが、年金とは何の関係もなく、年金制度は崩壊した。